O  S  A  K  A    A  L  I  E  N    C  L  U  B


大阪エイリアンクラブ
 

file2;1999年1月〜4月


第12回

うどん定食の食べ方


 エイリアンのための大阪の歩き方。今日はうどん定食の食べ方です。
 大阪人はうどんの話が好きです。とくに東京との「だし」の比較。「だし」とは、だし汁、つまりおつゆのことです。「なんで東京のうどんのだしは真っ黒なのか」という言い方をよく耳にします。逆に東日本から関西に来た人は、「うす味とは聞いていたが味がなさすぎる」と驚きます。
 私は双方が同じ「うどん」という名で呼ばれること自体が間違いだと思います。そこから来る誤解なのです。ざるそばを思い浮かべて下さい。東のうどんはいわばざるそばのつゆにうどんを入れ、温かくしたもの。めんが主役です。一方大阪のは「めん入りスープ」つまり「だし」が主役というわけです。東の濃いうどんつゆを飲み干すのは体に悪いですが、大阪では最後まで飲むのが普通でしょう。
 さて、大阪らしい食習慣に「うどん定食」があります。他にも「ラーメン定食」「やきそば定食」など、それ自体は全国どこでも見られると思うのですが、大阪の場合は育ち盛りの男子学生に限らず老若男女がめん類をおかずにご飯を食べる点がユニークです。
 私も最初は抵抗があったのですが、なにしろ安くておなかがいっぱいになるので時々はお世話になります。しばらくしてあるテクニックを編み出しました。まずめんだけを食べてしまうのです。そのあと、残ったおつゆをおかずにご飯を食べるのです。聞けば大阪人にも「おつゆをおかずにしてめんとご飯を食べる」という意識があるようです。なるほど「だし」の味にこだわるのももっともなことです。

 [1998年1月8日]

第13回

国語辞典半減計画


 今回は東京生まれの横浜育ち・神戸在住のエイリアン「ミソもク○もミソ?」さんからの投稿です。
 私も「あなた」もどちらも『自分』。匂いが
するのも「嗅ぐ」のも『匂う』。ご飯を炊くの も野菜を「煮る」のも『炊く』。天丼の天ぷら も「薩摩揚げ」も『天ぷら』。ペチャンコにな るのも「壊れる」のも『つぶれる』。修理する のも「片づける」のも『なおす』。この、東京 人には何も明かされないまま大阪で秘密裏に進 行しているらしい『国語辞典の項目を半分にし て森林資源を保護しまんねん計画』の全貌について、博士に解説をお願いしたい。
 そうなのです。東京など全国で二通りに使い分けられている言葉が大阪では一つで済まされ、「」の言葉は失われる傾向にあります。言葉が同じということは意味も同じ、あるいは区別しないでいいということです。実はここに大阪人の野望が隠されているのです。
 大阪では唐辛子やコショウが辛いのも、塩味がきつくて「しょっぱい」のも同じく『からい』と言います。食い倒れの街なのに塩とコショウを区別しない。どういうことでしょうか。そういえば料理がまずいことで有名な英国、それに米国でも「熱い」と「辛い」を区別せず「HOT」と言います。
 それに大阪人に名物料理を尋ねると「うどん・お好み焼き・タコ焼き」だと答えます。やはり怪しい。このうえ塩とコショウが区別できない事がバレれば、「食い倒れ」の称号を剥奪されかねない。カムフラージュのために、他の単語も減らしにかかっているんじゃないでしょうか。
 これは大変です。大阪弁の影響は大きい。いずれテレビを通じて全国民の語彙が減らされていくのではないでしょうか。そうなる前に私たちエイリアンの手で阻止しなくてはなりません。国語辞典のページ数を守るのは私たちなのです。がんばりましょう。

 [1998年1月22日]

第14回

地図を捨てろ


 今回は、名古屋・東京での生活経験をお持ちでエイリアン歴5年『たぶ子さん』からのお葉書を紹介します。
 私は大阪に来てから、道を聞かれる回数がと
ても増えました。私の人生で道を聞かれた回数 の95%が大阪エイリアンになってからです。 一度など、駅でおばあさんに「○○まで切符を 買ってくれ」とお金を渡され、買ってあげたこ ともこともあります。道を歩いている人だけで なく、車を運転している人にも聞かれます。大 阪の人って方向オンチが多いのか、それとも最 初から「わからんくなったら聞けばいい」と思ってあまり地図を見ずに外出するので しょうか?
 「聞けばいい」。もう大阪では常識です。「人に聞くのは恥ずかしい」だの「自力で道を探す方がかっこいい」などと言った感覚はまるでありません。そういう人もいますが、大阪人としては未熟者扱いされます。
 さああなたも明日から、地図など捨てて街に出ましょう。そして大阪人の海に身を投じるのです。大丈夫、彼らは皆とても親切です。目的地まで一緒に行ってくれる人さえいます。そういうのが嫌なんだというエイリアンも多いようですが、大阪に住んだからには全てを受け入れましょう。
 尋ね方も最初は「すみませんがフェスゲーはどちらでしょう」などとぎこちなくても仕方ありませんね。でも慣れてきたら「ごめんなさい、フェスゲーってどこかしら?」と少し馴れ馴れしくてもOKです。上級になればやはりこれ、「にいちゃん、フェスゲーどこや」−−−いっそう親切に教えてく れることうけあいです。

 [1998年1月29日]

第15回

大阪だけ法律を強化せよ


 私が不定期に開く<ドナインシタイン博士の世紀末学会>で「大阪はどうすれば今より幸せになれるか」というリポートを書いてもらったら、大阪人の約8割が「大阪は何も変えず今のままがいい」という現状維持派でした。
 生まれた時から慣れ親しんだ常識が変わってしまうのはだれだって居心地が悪いもの。しかし「大阪にオリンピックを」「東京に負けない国際都市に」と本気で思うなら改革が必要です。
 私たちエイリアンにも人ごとではありません。「今だけ」の人も「骨を埋める」人も、この町が住み家であり職場であり学びやなのですから。そこを良くする権利も義務もあるはずです。
 大阪の一般的な良い評価は「人情が ある・アットホームな都会・ボケとつっこみのある会話の文化・気さくで自 然体」など。悪い評価。街が「汚い・ 臭い・緑が少ない・暑い・空気が悪い」人が「自分中心・ルール無視・せっ かち・ずうずうしい」など。
 この良い点を残したまま悪い点だけを直すなんてできるでしょうか。私は可能だと思います。大阪人にとって日本の法律は甘すぎます。つまりほかの地方の人が「これはやっちゃいけないだろう」と思うことでも大阪では「やってみたけどだれにも怒られなかったからやっていい」となっている。ですから今より法律を厳しくし罰則を強化すれば「ああ、これはやっちゃいけないんだ」と、わかるわけです。
 例えば、電車で降りる人より先に乗ったら屈強な駅員につまみ出される/駐車違反は一発で免許取り消し/スーパーの試食を30g以上食べたら罰金3万円/銀行の粗品に文句をつけたら利息は国庫に納付/歩行者専用道路を自転車で通行しながらベルをチリチリうるさく鳴らしたら留置場に三泊/「お好み焼をおかずにご飯を食べないようなヤツは人間じゃない」などの差別発言は百たたきの刑、など。

 [1998年2月5日]

第16回

コンパス内蔵の関西人


 今日は横浜育ちのエイリアン、[しーちゃん]のお葉書をご紹介します。
  大阪、というより関西の人は道を尋ねると東 西南北を使って説明しますよね。「その道を南 に下って西に入ったところ」とか「○○の東側」 とか。関東ではそういうことがないのですっご く苦労します。関西の人は皆コンパス を持って いるのでしょうか。
 はい持っています、それも体のなかに。私の友人にも、山奥で道に迷ったがずっと顔を北に向けていたので無事帰って来られたという者がいます。東京はもともと江戸城の城下町。城(今の皇居)を中心にのびる放射状の道と同心円状の道が交錯する、クモの巣のような街路に造られています。横浜も港を囲むように発達したので、やはり方角は役に立ちませんね。
 一方、条里制に基づき始めから東西南北の碁盤の目に作られた京都・奈良。変則的だがそれに近い大阪。六甲山と海に挟まれ東西に開けた神戸。関西では方角を利用する方が便利です。
 代表的な京都を例にとれば、場所を教えるのに「烏丸五条をあがって二筋目を西に入った南側」などと言います。これは「烏丸通りと五条通りの交差点を北に行き、2番目の角を西に曲がったところの南側」という意味です。ややこしく思えますが、通りの名前さえ覚えれば初めての人でも迷わず目的地に到達できるわけです。
 ですからまだ体が磁化していないエイリアンは、ぜひお店でコンパスを買って持ち歩いて下さい。そうやって長年暮らすうちに自然と頭が北を向くようになります。寝相の悪い人は北枕にならないよう気をつけて下さい。

 [1998年2月12日]

第17回

並べない大阪人


 私は舞台役者なんですが、今ちょうど(二十一日まで)扇町ミュージアムスクエアで「恐怖!スライムピープル襲来」という芝居に出ています。いわゆるB級を狙った脚本に、東京から五人、大阪からも私を含め五人の役者が出演。まさに東京対大阪です。大阪での初顔合わせの日はお決まりの「東西の習慣の違い」が話題になりました。
  大阪名物って何?  と聞かれて答えに困ったり、 エスカレーターで立ち止まるのは右か左か でもめたり。大阪に来て早々、 深夜の心斎橋の横断歩 道で3重駐車の列に行く手をはばまれた という人もいました。そして、 バス停で誰も並ばないのに驚いた という人も。
 私は東京に行った時、ある駅のホームで驚いたことを思い出しました。夕方の混雑時。各乗車口の印の前には大勢並んでいる。こりゃ絶対座れないなと思いながらふと見ると、何と今来たばかりの人が先頭のすぐ隣に立つではありませんか。『ひどい、大阪人でもそこまで堂々とはしない(注/大阪人は離れたところで待ち、乗車のドサクサにまぎれて割り込む)ぞ』と、注意すると、その人は憮然として「これは次の電車を待つ列だ」と言います。
 まさかそんな。どうせ電車が来たらぐちゃぐちゃになるに決まっていると思い、離れたところから見ていました。するとどうでしょう。みるまにその新しい列にも大勢の人が、きっちり三列に並ぶではありませんか。一体どうなるのかと見ていると電車が到着、[先の列]が電車に乗り込みました。するとなんと! [次の列]が三列とも、まるで機械仕掛けのように真横にスライドして、乗車口マークの前に並んだのです。
 日頃大阪人の悪行を見かねている私でさえ、この光景には薄ら寒いものを感じました。そして「そこまでせんでもええやん」と、慣れない大阪弁でつぶやいたものです。

 [1998年2月19日]

第18回

大阪がイタリア?


 去年九月にイタリアに初めて行ったんですが、旅立つ前、まだ見ぬ土地を不安に思っているとイタリア経験者の大阪人がこう教えてくれました。「イタリアはきれいな大阪」。・・・なるほど、イタリアのイメージといえば、人々が親切・明るく開放的・ひったくりが多い。大阪のイメージと重なるところが多々あります。なんだそれなら恐れることはないと安心して出かけました。泥棒対策だけ万全にして、後はのんびりと大阪との違いや共通点を楽しもうと思っていたのです。
 ところが、私の期待は見事に裏切られました。見くびりすぎでした。大阪との共通点? とんでもない。似ても似つかぬ所です。トレビの泉、泉の広場や大阪駅中央コンコースの噴水とはもちろん格が違います。大阪城は立派ですが、サンピエトロ寺院のものすごさは筆舌に尽くしがたい。「水の都」と自らを呼ぶ大阪ですが、ヴェネツィアの水都ぶりには足下にも及びません。いっさいの車両を街路から追い出し、船による交通を徹底させています。おかげで街の美しさは大都市の中ではピカイチです。あっ、大阪との共通点、ありました。ローマなどの都心部の空気の汚さと緑の少なさ・・・
 イタリアと日本の観光地の決定的な違いは、名所旧跡の周りだけでなく、観光客が立ち寄ったり遠くからでも見えるすべてのエリアが整備されている点。美観を損なうものは徹底的に排除されています。それもそのはず、イタリア通の人によると、なんと街の美観は警察官が取り締まっており違反した建物があれば即座に罰金が科せられるとのこと。これには感心しました。
 どうです、大阪も警察に取り締まってもらって街をきれいにしませんか。「街並みより人情」なんて言い訳してないで。きれいな心はきれいな街に宿ると思いませんか。もちろん私たちエイリアンもがんばりましょう。自分たちの住む大切な場所なんですから。

 [1998年2月26日]

第19回

大阪テーマパーク化計画


 今日は神戸市の会社員三木英明さん(43)からのお手紙を紹介します。
  オリンピックといえば、その国の歴史と文化 を代表し、世界の人々が一度は訪ねてみたいあ こがれの都市で開催されてきました。私は十年 以上関東で暮らしましたが、「今度休みが取れ たら、大阪に行ってみたい」という人
 に一人
も会ったことがありません。こんな大阪に、そ して真夏の大阪に世界の人を呼んでいいのでし ょうか。
 呼びましょう。外国人に日本の都市を訪ねても「トキョ・キョト・ヒロシマ」としか答えてもらえない時代に別れを告げ、一番に「オサカ」と言わせましょう。しかし今のままではもちろん無理。こんな街並みに風情のない、空気が汚い、マナーの悪い街に耐えられるのは大阪人だけです。
 ではどうすれば胸張ってオリンピックを招致できるか?---大阪の街そのものをテーマパークにするのです。
 まず、暑い大阪の夏ですが、一切の冷房を禁止。その上で淀川から水を引いて御堂筋はじめ主要な道路に流します。車はオリンピック期間、市内に入れません。代わりに川と化した道路をカヌーやゴムボートで進むのです。
 さらに緑の少ない大阪を返上して、道路沿いに街路樹をびっしりと植えましょう。市内全域でジャングルクルーズが楽しめるようにします。
 そして歩道や広場に砂を敷き詰め、商店はすべて「海の家」にします。原色のカンバンに手書きの屋号。大阪らしい街並みです。メニューはもちろんウドン・タコ焼き・お好み焼き。焼きトウモロコシやスイカ、かき氷も。街角のスピーカーからは当然TUBE。
 外出するときは水着の着用が義務。市民も選手も観光客も。地下鉄の乗客も運転手も。会社でも学校でも。
 仕上げにジェットコースターや観覧車つきのビルをあと百個ほど増やしたら、もう完璧なテーマパークです。

 [1998年3月5日]

第20回

大阪のおばちゃん


 実は私のところに届くお便りの何割かは大阪のおばちゃんに関する悩みです。そのパワー、若いころの恥じらいはかけらも見えないルール無視の独善的な行動。よく使う言葉は「ええやないの、なんであかんの」。よそから移り住んだエイリアンの皆さんがいきなり彼女たちに接するのは、確かにショックが大きいでしょう。
 結論から言うと、大阪のおばちゃんを根絶するのは不可能ではありません。しかしそれには気の遠くなるような時間と忍耐、そして何よりも勇気が必要です。なぜなら「大阪のおばちゃん」は私たち自身の中にいるからです。大阪人・エイリアンを問わず、老若男女すべての人の中にです。
 例えばあなたが女子高生だとします。一人ひとりのときは普通にしていますがひとたび群をなすとそのやかましさと傍若無人ぶりはとっくにおばちゃんです。若いから違うと言うかもしれませんが、違いは若さだけです。やってることは同じです。
 またもしもあなたが電車で空いた席を見つけたとき、他の人をけん制するために大声で友人に「そこ空いてるし座りー!」と呼びかけたとします。友人のためと言うかも知れませんが、社会のルールは「早く座ったもん勝ち」であって「早く大声を出したもん勝ち」ではありません。あなたはもう大阪のおばちゃんです。
 もしもあなたが車を路上に駐車して「みんなやってるやないの」と開き直り、反則金を取られても毎回駐車場に入れるよりは安くつくと胸算用しているとします。どうしようもなく大阪のおばちゃんです。
 さあ、もう進むべき道は見えましたね。そうです。あなたの中の「大阪のおばちゃん」をまず撲滅するのです。簡単にはいかない? 当然です。ラクして生きようとするからおばちゃんになるんです。

 [1999年3月12日]

第21回

ボケとつっこみ


 阪南市にお住まいの主婦、三宅優子さん(37)のお便りをご紹介します。
 私は横浜出身でエイリアン歴9年、どうしても習得できないのがボケと突っこみの掛け合いです。大阪人の夫は私に見切りをつけ、息子を相方に育てようと早期教育を施しました。まだ四才の息子が「お父さんソースとって」と言うとケチャップを差し出し「違うよソースだよ」というとマヨネーズを差し出す。そして「なんでやねん」と言わせるのです。数日後、息子にスプーンを取ってくれと頼みフォークを渡された私は軽いめまいを覚えました。夫婦・親子間の溝を埋めるためにもボケと突っこみの極意を教えて下さい。

 大阪の漫才が全国に広まる前、ボケを知らない東北人が大阪に来て「大阪人は何でいつも勘違いばかりするのか」と困り、大阪人も突っこんでもらえず困ったそうです。四才児にしてお父さんの教えに応用を利かせフォークを渡したのに突っこんでもらえなかった三宅さんのご子息も気の毒でした。
 彼のように大阪人は幼少から英才教育を受けます。中国雑技団なみです。私たちは大人になってからいくらがんばっても背中越しにおしりをペロペロはできません。同様にエイリアンのあなたが大阪人のボケに上手に突っこむのは無理な話です。コンマ一秒のタイミングとその場に応じたトーン、気の利いた文句。運動神経と音感、文才まで要求されます。あきらめましょう。
 一方ボケはある程度の訓練でできるようになります。レベルの低いダジャレ系から始めるのもいいでしょう。わざと言葉を間違えて相手に正解を言わせるのです。例えば「ぞうさん言うたらあの掃除に使う?」「そら『ぞうきん』やろ!」など。もしご主人がボケとわかってくれずに、「???」となっていたら「大阪人のくせになんで突っこめないのよ!」と逆ギレしましょう。溝は深まるかもしれませんが。

 [1999年3月19日]

第22回

ラクする大阪


 大阪をひとことで言い表すとしたら? −−−「楽」。このひと文字。
 楽=たのしい。大阪は楽しい街です。これが大阪のすばらしい長所。街並みやファッションは下手に美しくまとめるよりも目立つこと・遊び心を。人との会話やつきあいはまじめに気むずかしくするより笑いを優先します。私自身地味より派手、まじめより遊びが好きです。笑いのない生活など耐えられないし、まじめ一点張りの人とはつきあいたくありません。人間はいらぬ苦労などせず一生楽しく生きるべきだと思っています。
 ところが「楽」は「ラク」とも読めます。これこそが大阪の欠点。ルールを守らない。街並みが汚い。老若男女皆おばさん的。すべてラクして生きようとする姿勢の現れです。
 決まりを守るより思い通りに振る舞う方がラクですし、美観など気にせず派手なカンバンやローコストのビルを建てた方がラクにもうかります。
 おばさんはラクの権化。他人に気を使い遠慮してチャンスを逃すより、ずうずうしく自分のやりたいように行動した方がラクに思いがとげられます。
 ラクして何があかんの、と言われそうですがちょっと待って下さい。
 例えばゴミ問題。堺市は空気中ダイオキシン濃度で日本一になりました。プラスチックゴミを分別しないで燃やすこと関係ありそうです。大阪市ではペットボトルだけやっと資源ゴミ扱いになりましたが、まだ徹底していません。ゴミは分別しない方が出す方も集める方もラクだから、というのが本音に思えるのは私だけでしょうか。
 また大阪はいくつかの犯罪の件数でも日本一という不名誉を得ています。ひったくり・ひき逃げ・自転車盗……なんだか場当たり的なものばかりです。計画して悪だくみするのが偉いわけではもちろんないのですが、どうもラクして目の前の悪事に走っているような気がするんですが。

 [1999年3月26日]

第23回

大阪の未来は何色?


 最終回です。転勤や結婚など様々な事情で大阪圏に住むことを余儀なくされた他地方出身のエイリアンの皆さんが、少しでも安らかに暮らせることを願い半年間つづけて来ました。また、かなわぬことでしょうが他の日本人の視点を紹介することで大阪人の皆さんが冷静に大阪を客観視するお手伝いができれば、とも一応思っていました。(実は大阪を客観視するのは簡単です。晴れた日に大阪湾をゆく船に乗れば、青い海と空、白くかすむ遠い陸地に囲まれた中で大阪方面だけ茶色い空気に包まれているのが見えます)
 さて、大阪は二十一世紀に向けて良い方向に変わっていけるでしょうか。私はイエスだと思います。しかし「なるようになる」という考えは危険です。自然にまかせていてはラクな方に流れるばかりだからです。
 大阪は危機にさらされています。誰かの予言がはずれて人類が今年の「七の月」を無事生き延びたとしても、大阪だけ滅亡するかもしれません。環境問題に限らず、原因はいくらでも考えられます。不法駐車・ひったくり・痴漢・オリンピック・おばはん・いらち・くいだおれ・太陽の塔の呪い……。
 私が不定期に開いている「ドナインシタイン博士の世紀末学会」という催しがあります。次回は五月十九日〜二十三日、梅田のHEP・HALLで「ハルマゲドンとかみなりどん」という劇を上演し、人類の滅亡について皆さんとともに考えてみたいと思っています。「模擬最後の審判」も実施。合格者には仮免罪符を発行する予定です。大阪の滅亡についてもシミュレーションする予定ですので、ぜひ参加して私たち自身の未来を探ってください。
 最後になりましたが、エイリアンの皆さんとその子孫が立派な大阪人となり繁栄することを祈っております。

 [1999年4月2日]

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