季記

2002年2月〜2009年2月の間にぽつぽつと書いた日記。
次第に間隔が開いて、「週記」「月記」となり、
しまいに季節に一度になったので、「季記」と呼んだが
末期は「年期」となっている。。




2009.2.11
でんでらりゅう【2】


長くなったので二つにわけた!
(たまに書くとこうだから私はブログに向いてない)
まあ中身つながってないから【1】【2】どっち先でもよい。


関西に住んでからも標準語だと思いこんでいた言葉をいろいろ修正した私だが、
逆に大勢の思いこみを直しもした。

とくに大阪人!

意外に聞こえるかも知れないが、大阪弁というのは日本の方言の中でも
実はとても標準語に近い言葉なのだ。

「んなアホな!全然ちゃうで!」と反論が聞こえてきそうだが、
そうなのだったらそうなのだ。

その証拠に大阪の小学生は教科書に書いてある文章をそのまますらすらと大阪アクセントで読める!
私はそれを長いこと大阪人は教科書を堂々と大阪訛りで読む、と思っていた。
だが違うのだ。
大阪人が普通に「ですます調」でしゃべると、それはほぼ標準語になる。
違うのはアクセントだけで、ボキャブラリーはほぼそのままなのだ。

普段の会話では「〜や」「〜やん」「〜やで」「〜ねん」「〜へん」など語尾が大阪弁特有だが
それ以外は例えば「せやねん」「ちゃうで」にしても「そうやねん」「違うで」も使う。
言葉そのものはあまり違わないのだ。
そして目上の人の前で丁寧にしゃべるときは語尾が「ですます」に変わる。
すると「そうです」「違います」。
つまり、文字上はすっかり標準語になるのだ!

テレビでまっちゃんが「そうですよねええ!」と大声で、
「す」と「ね」にアクセントを置いて言っているのは、
標準語を大阪アクセントで言っているのではなく、大阪弁そのものなのだ。

だからたまたまボキャブラリーが標準語と食い違うと大騒ぎになる。
マクドナルドの略称を「マクド」というのは有名な話だが、
実は関西では新聞にも「マクド」と載る。
先日の朝刊の一面には「マクド過去最高益」と見出しがあった。
実は全国紙の一面といえども地方色を出しているので、
関西版だけ「マクド」であって、他は全国的に「マック」となっているはずだ。
(関西以外で「マクド」な地方があればせひ教えてほしい!)

この「マクド」や、「アホ」「ちょける」「いちびり」「あかん」「しんどい」「どつく」「わや」など指折り数えられるほどの(しかもすでに有名な)言葉を除いてしまえば
大阪弁と標準語の違いは語尾だけと言ってもいい。
それも「だ」が「や」になったり「よ」が「ねん」になる程度の軽微な変化だ。
誰でも簡単に覚えられる。

アクセントはなかなか身につかないがそれは構わない。
ヒアリングが誰でもできることが肝心なのだ。
つまり大阪弁は全国どこでも通じるということ。
だからこそテレビにもそのまま乗っかれるのだ。

「東京弁と大阪弁は全然違う」と思いたい大阪人には嫌な事実だろうが、
それくらい大阪弁は標準語と似ているのだ。

そういうわけで大阪人は、逆に大阪弁にしかない方言でも標準語だと思っている言葉がけっこうある。
「めばちこ(ものもらい)」「いんじゃん(じゃんけん)」「さぶいぼ(鳥肌)」「モータープール(駐車場)」などはわかりやすい例だが、
意味を拡大して使っている「(塩辛いときに)辛い」「(味噌汁やお風呂を)炊く」「(疲れた意の)えらい」」それにさきほどの「なおす」も、同じ音の言葉が近い意味であるだけに方言だと気づきにくい。

おそらく関西の読者の中にはこの文章で初めてそのことを知った者もいるだろう。

私にしても「落っちゃける」はともかく「さかむけ」「おとつい」はつい最近知った事実だったので、まだまだこれからも出てくる可能性大だ。
いつ出会ってもいいように心構えだけはしておきたいものだ。




2009.2.11
でんでらりゅう【1】



週パイで九州弁には古い言葉の名残が多いと書いたが、
例えば有名なところでいうと「〜を」を意味する「〜ば」。
これは明らかに「をば」の名残だ。
「できる」ことを「〜しえる」という。
これも明らかに「し得る」だな。
標準語では固い言い回しで「しうる」と言うな。

また日本語でも昔は英語と同じく相手のいる場所に向かうとき
「行く/go」ではなく「来る/come」を使っていたというが
長崎では今でもそう言う。
電話で「今から来るけんね」など。

そうそう、同じ語尾が「〜ば」になるのにも色々ある。
「ご飯ば食べる(食ぶっ)」の「ば」は「を」、
「ご飯ば食べんば」の後の「ば」は「食べねば(ならぬ)」の「ば」、
そして私のネイティブではないのだが
「〜ならば」の名残と思われる「ば」がある。

それが最近有名な「でんでらりゅう」の歌詞にある「ば」だ。
短い歌だから全文引用しよう。

 でんでらりゅうば でてくるばってん
 でんでられんけん でてこんけん
 こんこられんけん こられられんけん
 こーんこん

意味は

 出、出られるなら 出、出て行きますが
 出、出られないので 出て行かないので
 行、行けないので 行けれないので
 行かない行かない

さきほどの「来る=行く」がさっそく役にたったと思う。
実にシンプルな歌詞だ。

この歌詞の「りゅうば」に「りゅう」とあるので
長崎のお祭り「長崎くんち」の最もメジャーな出し物「竜踊り(じゃおどり)」の
竜に引っかけて「でんでら竜」というキャラクターを考えた人がいる。

それがそのままテレビのクリップになって
NHKの「にほんごであそぼ」でも毎日のように流れている。

それはいいのだが、「りゅう」を「竜」としてしまうと
「ば」が「ならば」ではなく「を」の意味に聞こえてしまう。

だから我々ネイティブな長崎人はあのクリップは気持ち悪いのだ。

ちなみに私は子供時代「でんでらりゅうば」ではなく「でんでらるんなら」と歌っていた。
「りゅうば」という言い回しは実は聞いたことがない。
長崎の中でも一部の方言だと思うのだが。

しかし竜踊りは楽しいぞ。
長崎のこどもは長くてくねくねしたものがあると必ず竜踊りの真似をし出す。
あとホーキとか。





2008.11.18
歌謡曲をJ-POPに変えた男


70年代〜80年代。
それはいわゆる「アイドル歌謡」の時代であり、
阿久悠・筒美京平が活躍した時代であり、
「スター誕生」「ザ・ベストテン」「夜のヒットスタジオ」の時代であり、
数多くのスターが生まれては消えた時代だった。

もともと日本の大衆歌謡曲は、民謡のノリとクラシック音楽の技術が融合したものだった。
それ以来常に「洋楽」と「日本人らしさ」の狭間で日本人の音楽性は揺さぶられ続けることになる。
洋楽の中味はクラシック、ジャズ、アメリカンポップス、ロック、フォーク、ラテンなど
様々に変遷するが、
(※ふつう「洋楽」にクラシックは含めないがここではそうしておく)
ずっと日本人はその絶妙な折衷感を楽しんできたに違いない。

ところがある時期から「身も心も洋楽になってしまいたい症候群」に、
日本の歌謡曲は感染してしまったようだ。

私自身も同じ世代の友人達と同様、「音楽的に日本人ではなくなる」ことに
強烈な憧れと、そうなりたいのにちっともなれない焦りを感じていた。
内田裕也やはっぴいえんどから始まる「日本語ロック論争」もおそらく
そういった心情がベースになっていたに違いない。
日本のロックを語り出すと長くなるので、これはまた別の話。

さて歌謡曲だ。
テレビで60年代の歌番組(和製ポップスやグループサウンズも)を見て育った私は
小学6年ごろから深夜のラジオで英米のポップス・ロックに触れ、
71年に中学生になった。
このときに先輩達が所有するレコードによって一度に私に流れ込んで来たのは、
レッドツェッペリン、ディープパープル、ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、
EL&P、クリーム、フリー、ピンクフロイド、カーペンターズ、‥‥‥
(これも長くなるのでまた別の話)
という、いまだにポップミュージックの歴史に君臨する偉大な音楽だった!
私の心はすっかり塗り替えられた。
そして「音楽的に身も心も日本人ではなくなる」べく、バンドで音楽を始めるのだった。

ところが。
テレビの世界では異変が起きていた。
それまでテレビの歌番組は「大人のもの」だったのが、アイドル歌手の登場によって
「ぼくたちのもの」に変わって行ったのだ。
天地真理・南沙織・麻丘めぐみ・桜田淳子・山口百恵・太田裕美・岩崎宏美・
キャンディーズ・ピンクレディー、沢田研二・郷ひろみ・野口五郎・西城秀樹。。。

当時のアイドルたちの音楽の中には今ではむしろ演歌にジャンル分けされそうなものさえある。
ものすごい振れ幅で彼らの音楽性はバラエティ性をもっていた。
しかし彼らが見せてくれたのはまぎれもなく、
「洋楽と従来の歌謡曲の間でゆれる私たちの姿そのもの」だった!

アイドル歌手である以上、ヒットしなければ意味がない。
しかしその相手は「いまそこにいる人たち」つまり
従来の音楽しか聴いてこなかった人たちだ。
そこにいきなり新しい音楽をぶつけても敬遠されるだけ。
大衆は保守的なのだ。
ヒット曲の鉄則はおそらく「目新しいが一枚はいだら中味はこれまで通り」なんだと思う。

しかしそこに風穴をあけたのが男がいた。
筒美京平という作曲家だ。
彼は往年の歌謡曲では最もヒット曲を書いた作曲家として知られる。
それどころか現在でも日本の歴代作曲家でシングル売り上げ第一位。
まさにヒットメーカー中のヒットメーカーだ。
彼の業績は、それだけではない。
大勢に愛されながら同時に「身も心も洋楽になってしまいたい」願望をかなえる曲を
書き続けたことだ。

「はざまでゆれる」のが美学とさえ思えた歌謡曲を思いっきり洋楽寄りにシフトさせ、
ひいては現在の「歌詞さえ英語にしたらまるっきり洋楽そのもの」なJ-POPを実現した。
現在のJ-POPのような曲をいきなり書いたわけではないが、そこへ至る道をつくったのはまさしく彼だ。
彼が書いた洋楽っぽい歌謡曲に親しんだ世代が
サザンやユーミンや山下達郎を受け入れたのだ。

彼は英米でのヒット曲から有名なリフを拝借したり
曲そのものをうまく日本流に変えて日本に紹介する名人だった。
(決して盗作ではなく)
現在はもう「日本流」が存在しないので彼のその超一流のテクも出番がなさそうだが。

そう。とうとう実現した「身も心も洋楽」な日本の音楽。それがJ-POPなのだ。
我々があれほどもだえ苦しんで望んだものに、いま日本の音楽がなっている。

なのに私は嬉しくない。
なぜ?
自分と違う世代の音楽だから?
いや違う。J-POPの中にも心に響くものはいくつもある。

問題は歌謡曲がすたれてしまったことの方なのかも知れない。
どちらもあってくれていいのに。
いま「昭和歌謡」を標榜してがんばっているアーティストはいる。
かつて私の「ママ」役をしてもらった大西ユカリ嬢にしたってそうだし。
だが私が言うのはアーティストの側ではなく、受け入れる我々の側の話だ。

阿久悠もそんなことを言っていたが、J-POPは個人個人のもので
歌謡曲は日本国民の共同幻想だったのだ。
現実離れしていても日本人の多くにリアルと思わせてくれる世界。
あるいはリアルじゃないと知りつつ安心して飛び込んで遊べる世界だったのだ。
しかし聴く側の心にもはやそのベースがない以上、
いくらそこを狙っても誰もが共感するものにはならない。

J-POPがまるっきり洋楽と化したことがそのことと関係あるかどうかはわからない。
いずれにしても歌謡曲はもはや存在しない。

だからいま人前で当時の歌謡曲を歌うことにどんな意味があるのかはわからない。
それこそ個人個人で価値観はまるで違うだろう。
以前なら日本人の共通認識として何らかの答えがあったのかも知れないが、
今はやる側も聴く側もその個人に、ある「思い」があればそれでいいはずだ。

その思いを確かめるためにも、
私はこんどの土曜、とあるライブハウスで歌謡曲を歌う集まりに参加する。
同じベースを共有する人たちとともに。
「千日前ミュージックヘアー」。
出演は全員演劇人。それぞれの歌謡曲を歌う。

私は筒美京平の大ヒットと知られざる名曲、そして
後に演劇界に大きな影響を与えることになったある名曲を紹介する。
22(土)の1日限り。
14時からと18時からの2回だ。
会場は大阪ミナミ。
千日前通りのなんば駅と日本橋駅の中間だ。
寒かったり雨でも大丈夫。
通りの下はなんばウォークだから!
通りの北側、やや日本橋よりの、ケンタッキーの西隣、サンクスの地下にある
ライブハウス「アナザードリーム」。
ぜひぜひ足を運んでくれ!

楠見薫嬢も「タニマチ金魚」の牧野エミ・中道裕子とともに出演!
ゴージャスな歌声を聞かせてくれる!

詳細はこちら!

PC版
http://www.fantoma.info/Mhair.html
携帯版
http://www.fantoma.info/mobile/MH.html





2008.6.28
引越で振り返る来し方


はい、抜本的改革もないまままた1年が過ぎたよ。
なんだかとても忙しい。
近ごろあまり舞台にも出てない私が何が忙しいかというと、引越だ。
いやすでにもうかれこれ3週間ほど前に引越は済んだはずなのだが。
まだ忙しいのだ。引越のせいで。

「引越は、引っ越してからが引越です!」/ Doc 2008

今回が人生14回目の引越になる私だが、
この言葉を今回ほどかみしめたことはない。
いや今回初めて口にしたがな。

それにしても14回も引越したのか、私。
さっき数えたから間違いない。
せっかくだから、順番にふりかえってみよう。


【1】2才のとき、家の事情で引越。そのときの記憶が断片だが、ある。
自分の意志でない引越はこのときだけ。
あとはすべて私の引越好きによるものだ。

【2】12才。「堀川下宿」へ。
小学校を卒業と同時に親元を離れ、下宿屋さんに引越。
TVドラマ「アテンションプリーズ」で描かれた寮生活に憧れ、
そういう生活がしたい一心で鹿児島ラサール中を受験、見事に合格したのだった。
両親はむしろ反対だったが「まず無理でしょう」という担任の先生の一言を信じていた。
私一人が喜々としていたのだった。

【3】13才。「竹内下宿」へ。
男子校ゆえか、同じ下宿の先輩にセクハラ行為を受け、別の下宿に引越。
当時の私はとても可愛い男の子だったのだ。
ちなみにその先輩は現在、性別が変わっている(!)。
母校の名誉のために言うがそんな先輩はその人くらいだからな。

【4】16才。「今里寮」へ。
別の下宿に変わりたくなって、気軽に引越。
こんどの下宿は同学年が多く、楽しかった。
いずれにしろ中高の6年間、ほぼ毎日が修学旅行状態。
逆に夏休みは退屈でつまらなかった。

【5】18才。「クローバーハウス」へ。
京大に合格し京都に引越、のはずだったが不合格。
予備校に通うため京都・上京区へ引越。
まかないつきじゃない下宿屋さん、というか学生アパートに初めて住む。
浪人だったが気分はすでに大学生で、友人の学祭にバンドで出演したりした。

【6】19才。「パークハイツ」へ。
こんどこそ京大に合格し、左京区へ引越。
劇団そとばこまちに入る。
このときからずーーーっと芝居中心の人生に。
私はアパートの部屋を友人に解放していて、
出かけているときも鍵をかけていなかった。
訪ねてきた者は勝手にレコードを聴いたり
コーヒーを飲んだりとかしてもよいことになっていた。
劇団員と大学のクラスの連中が私の部屋で私の留守中に出会って
友達になったりして楽しかった。
(いつでも誰かいたので不用心じゃなかった。)

【7】21才。「新山荘」へ。
いい暮らしがしたくて、学生「マンション」に引越。
しかし芝居で忙しく、バイトもろくにしなかったので2年しかもたなかった。
このとき、この後長年連れ添うことになる猫「たーみー」と出会う。

【8】23才。「旭荘」へ。
ボロくて安いアパートへ引越。
たーみーを放し飼いしたかったので、1階の、表通りから見えない窓がある部屋、
というのが絶対条件だった。
その窓をずっと10センチほど開けていた。
冬の、雪が降る日も開けていた。寒かった。

【9】25才。「山田マンション」へ。
京都の賃貸住宅は「更新料」というのをとられる。
かなり高い。「礼金」とあまり変わらなかったりする。
今もそうだろうか。それが2年ごとなので、どうせとられるならと2年ごとに引っ越した。
こんどは劇団員(男)とルームシェアすることにして2LDKに。
たーみーも一緒だ。
その男(松井康人)は猫が大好きだが猫アレルギーという気の毒な男だった。

【10】27才。「センチュリーコーポ」へ。
そこも2年で出た。相方に不満があったわけではなく、ましてセクハラでもない。
二人とも極めてノーマルで、逆にそれゆえ、お互いプライバシーが必要になったのだ。(!)
今ふうのワンルームマンションに引越。ここにはなんと7年もいた。
やはり1階で、表から見えない窓のある部屋だ。

【11】34才。「ラ・モリジ」へ。
テレビの仕事などで収入が増えたことと、ある目論見から広いマンションへ。
こんどは広いLDKのある、1LDK。
しかもバブル期建築!
比叡山のふもとにあって、はるか嵐山に沈む夕陽が見えるという立地!
前の部屋へは、たーみーの出入り口から野良猫が入ってきて
たーみーのご飯を食べてしまうという可哀想な事態に陥った。
たーみーも10才を越えたのでこの際放し飼いをやめて3階の部屋にした。
猫のことはともかく、目論見と言ったのは、実は結婚だった。
計画通り引っ越して1年で結婚。住人は二人と一匹になった。

【12】39才。「コスモグラシティ梅田東」へ。
20年住んだ京都を離れ、大阪へ引越。
ずっと仕事は大阪で大阪の方が便利だったのだが京都にこだわって住んでいた。
だが後藤ひろひとと出会い、何かと大阪で朝まで飲んだりすることも増え、
もうひとつの目論見もあって大阪に引っ越した。
こんどは2LDKだ。
その目論見は2年後に実現!
そう、私は41才にして女の子の父親になった。
妻の実家が大阪なので、初めての子は妻の実家近くがよかろうという思いだったのだ。
住人は三人と一匹になったのだが、その一匹・たーみーはすぐに逝ってしまった。
19才だった。もうすぐ二十歳だったのだが、しかたない。

【13】43才。とある貸家へ。
娘が無事育ったので、こんどは自然環境のよいところに住みたくなり、
兵庫県西宮市に。
山も近く、川が目の前という素晴らしい環境。
大阪もまあまあ近く、便利なところだ。
ここにいた6年の間に住人は四人になった。
女の子がもう一人増えたのだ。

【14】49才。とあるマンションへ。
そして今回の引越。ほら14回目だ。
前の家が定期借家で期限が来たので、引っ越したのだ。
場所があまりに気に入ったので、なんと3軒となりのマンションに引っ越した!

さあここからが本題だよ!
昔の思い出にひたっていたが現実に引き戻された!
なぜ「引越は、引っ越してからが引越です!」などと言ったか。
それは、新しい家が狭いからなのだ!
というか、前に住んでた家がたまたま広かったのだ!
だから6年住んでいたその間に荷物が増えてしまったのだ!

今回引越前に思い切り物を捨てたんだがなー。
物を捨てる極意!
「捨てようかどうしようか迷う物の中で一番捨てたくないものを真っ先に思い切って捨てる!」
これを実践した!
そしてその後「あいつを捨てたんだから、お前なんかもう捨てるしかないんだ! すまん!」
とわけのわからないことを叫びながら次々に物を捨てる日々!

‥‥‥だったのだが、いざ引っ越してみるとこれが全然捨てきれてなかったじゃん!
まあ来週で50になろうという私だ。
そりゃ持ち物もそれなりに多いだろう。
そりゃしょうがない。
それにしてもだ!

引っ越して3週間。
なのにまだ家の中に積み上がっている段ボールが(と、ここまで書いてから数えた)
なんと!

なんと60個!
60個もあるのだ!
押し入れにしまってある奴以外に!
‥‥‥そうかー。
だって引越のとき120個あったもんなー。
半分に減らしただけでもたいしたもんだよ。
それでもまだ60個あるのか。

ああ早くなくしたい。
段ボール。
なくなるのか、段ボール。
このまま次の引越まで一度も開かないのが何個もあるんじゃないか、段ボール。
ちなみに前回10個くらいそれはあったよ、段ボール。

と、ポエムな文体にしたところで現実は変わりはしない。
そうなのだ。
この段ボールを減らす作業で忙しいのだ、今私は。
現実に戻ろう。
段ボールを減らす日々に、帰って行こう。
じゃあな、諸君、これまでだ。
楽しかったよ。
つかの間、この文章を書いている間だけは、別の私でいられた。
アデュー!
とか言いたい流れだが、これはあいつがよく使う言葉だから、じゃあ
アウフヴィーダーゼーエン!
また会おう!
次会うときは50になっているよ。





2007.6.7
のだめゲーム


ついに去年はまる1年日記をかかなかったな。
ああいや、もちろん日記などではなく、すでに季記でもなく、年記ですらなくなってこれはもう何と呼べばいいのやら。
近いうちに抜本的改革をするぞ!

さて。きのうは雑誌の取材でインタビューが連続みっつあって、Piperメンバー5人で久しぶりに集まった。
その場でひーはーの中身が大王の口から語られるなど色んなことが明らかになったぞ!
我々も初めて聞くその驚愕の内容! まあみんな楽しみにしててくれ。

さて Piper Board でも書いてもらったとおり、PS2用ゲームソフト「のだめカンタービレ」 の脚本を担当した。
以前から交流のあったゲーム会社が作ったゲームで、この半年はずっとそこに通っていた。
「指揮をする」ゲームだが、いわゆる「音ゲー」と違ってボタンひとつで速さや音量などオケやピアノを自在に操るというものだ。
(うまくやると[千秋]がほめてくれ下手だとボロクソにけなされる)

それと交互に出てくるストーリー部分があって、私はその脚本を担当した。
勝手なオリジナリティはつけていない。
原作そのままは分量的に無理なので私の好みで絞り込んだ。
去年の暮れには脚本ができていたが、それを実際のゲームに落とし込むのになぜか半年かかった。
その作業が「演出」といえば演出で、クレジットにも「脚本・演出」と載っている。
だが私の意のままではない部分もいっぱいある。

いやあ色んなことを学んだよ。
芝居作りと似ているようでずいぶん違う。
違うようで結構似ている。

いわゆる「アドベンチャー」と呼ばれる形式で、数パターンの表情の登場人物が交互に出てきてセリフを言う。
そういう意味ではアニメほどアングルが自在ではなく舞台に入れ替わり立ち替わり役者が出てくる芝居に似ていて、芝居をつくる感覚で作れた気がする。

ゲームではあるが、クリアしないと進めない部分は一切無い。
しかも使うボタンは1個だけ! どのボタンでもいい。
ゲームというよりドラマやアニメと並ぶメディアだと思えばいいんじゃないか。

選曲は原作と同じのもあれば違うのもたくさん入っていて、どれも聞いたことのある名曲ばかりだ。
家にPS2がある人はこれを機会にやってみることを強くおすすめする。
7月19日発売だ。
http://www.banpresto-game.com/nodame/




2005.12.6
ハロルド


カーテンコールでのあいさつでも言ったが、ほんとうに
「ロボット3人組が悪者をやっつける話」にするつもりだったんだ。
だが色々事情があって、その前の話を書くことにした。
それでハロルドは、3人組ができるところで終わってる。
つまり続編は始めからあるんだ。
「ハロルドアンドロイド」公演がもしなかったら、
よっぽど事情が変わったんだと思ってくれ。

さてハロルド。
観ればわかる通り、Piperの3人が主役だ。
私の役など全体の10分の1ほどの出番にもかかわらず、主役な終わり方になっている。
作家の特権だ!
メインの主役はもちろんハロルド。
ロボットの彼が自分探しをする物語だな。

あちこちに書いてるが、ロボットのアイデンティティにとても興味がある。
その方が人間を描くよりも人間に思いが行くからだ。
存在とは何か、記憶とは何か。
そう、記憶もいつも私がこだわるモチーフだ。
今回の場合、自分の存在を否定する記憶を自ら消したものの、
それでは生きられないことがわかってあえてその記憶を取り戻す話、
ということになるな。
つまり記憶と存在はイコールと言ってもいいことになる。
そんな乱暴なこと言うと哲学者に怒られるが、私は哲学などどうでもいいのでどうでもいい。

考えてみたいテーマには「愛」というのもあって、
これは前々回の「ソフトマシーン」のときにやった。
やはりロボットの愛の話だ。
あのときも愛イコール記憶だと言った。
実は私が妻に、大事なことを覚えていない!と叱られたことから
考えた話なんだ。
相手のことを大切に思うなら、決して忘れてはいけないことがあるはず。
それなら記憶の量が愛情の量だと言うこともできるんじゃないかと。
ただ相手にとって大切なことと自分にとって大切なことが食い違うから
話はややこしい。
自分の勝手な思いこみは愛と呼べるのかどうか。
その辺に話が行くと、ちょっと私の興味は冷める。
少なくとも今は。

さて話をハロルドに戻そう。
主人公ハロルドには、かなり辛い経験を語ってもらった。
自分のせいで人が5人も死ぬという、想像もつかないような辛さ。
「人を決して見殺しにはせず、人のためにつくす」という存在意義を抱えるロボットにとって
いくら「感情」がなくても耐えられないことだったはず。
何しろそれを避けようと思えば「あの時」少女を見殺しにしなくてはならなかったのだ。

実はあの場面でやってみたかったのは、
リアルに演じない、淡々とした語りでどれだけ
物語ができるか、ということだった。
ハロルドにはあそこまで無機的にしゃべってもらうつもりもなかったが、
Sal の提案でそうすることになる以前にも
あのシーンは感情を込めずにやってもらうつもりだった。
(感情、ないしね)

感情を込めずに感情を伝えるという難しい演技をやってくれた Sal。
彼がほんとにすばらしい役者であることがよくわかる舞台だったと思う。

さて Denjin だ。
もうひとりの主役、安藤さん。
安藤さんは立場的にはハロルドの物語の脇役だが、
ハロルドがロボットとして持っているはずの/持ち得なかった
いろんな面を持っているロボットだ。
ペラペラとよくしゃべる。
感情的になる。
それでいて微妙な機微はわからない。
機械としてのロボットを自覚していて修理したり互いに通信したり
遠隔操作したりできる。
空も飛べる。
身体能力はハロルドと同じくらいある。
ただしダンスのセンスやリズム感はない。

過剰なまでに愛すべきキャラクターは、
身体能力以外はすべてハロルドと対極、
まさに二人合わせて2で割りたくなる存在だ。
しかも驚くべき事に
ふだんの腹筋善之介そのまま!
普段(特に楽屋で)彼と過ごしている人は思わず
「舞台でまでせんでええ!!」と言いたくなるはず!

そして今回、パワーマイムをあえて封印しやってもらったのも大きな成果だった。
パワーマイムは話術、パントマイム、運動神経、Denjin が持つさまざまな能力を結集したパフォーマンスだ。
どれかひとつでできるものではない。
もっとも大きいのは「物語る力」のようなものだと思うのだが
まだ解明されていない。
とにかく今回あえてパワーマイムを封じてもらったことで、
ある一面で際だった腹筋善之介が観てもらえたと思う。
彼の持つ演劇的スペックの高さが証明された気がするのだ。
次にパワーマイムを観るときはきっと見る目が変わっているはずだ。

ところでパワーマイムは今や彼しかやる者がいない。
このままでは彼一代で終わってしまう。
後継者が育たなければ偉大な伝統芸能が失われてしまうのではないか。
まあ私が心配することではないだろうが、
弟子を志願するなら今のうちだぞ。
宛先は↓
denjin@00piper-z.com(00を外す)

他の出演者についても書きたいんだが、
次の機会にしよう。

いやしかし。自分で作・演出するというのはこういうことか。
やっとわかった。
というのは今までは自分が主演する芝居を書き、
誰かに演出してもらっていたから、
ほとんど客観的に芝居が見れなかった。
(客観的というのは文字通り客の目線で見るということだな)
今回はまさに自分の世界を丹念に作り上げることが出来たよ。
もちろんボードに書いたように
役者たちに大きく助けられたけどな。
作・演出だけ、というのは過去に皆無ではないが、
今回のように高度にやりたいことが実現したのは初めてだ。

大王も含めて、作・演出家が役者として舞台に立つのを見るとき
役者としても面白い人が多いので、もっと出番増やせばいいのにと思っていたが、
やっとわかった。作・演出は面白い!
こりゃやめられんよ。彼らの気持ちがよくわかった。

しかし役者でももちろんやっていくぞ。
とりあえずハロルドアンドロイドだ。
当然三人が出ずっぱりになるはずだが、演出もしたい。
うまく両立できたらいいんだが。
来年やれたらいいな。それも早いうちに。
来年はドナ研もできれば2〜3回やりたいと思っているよ。
実現を祈ってくれ!
来年なんてまだ先だと思っていたら、もう年末じゃないか!
メリークリスマス!!
アンダハッピーニューイヤー!!!


※ロボットに共感したい人へのおすすめ映画。
アンドリューNDR114
ブレードランナー
ロボコップ




2005.3.18
白い悪魔


あやうく冬をすっとばして春になるところだった。
ていうかもうなってるか。
しかしせめて話題だけでも冬らしいものにしよう。

先週の日曜、
・・・と書いたところでふと思ったんだが、
「先週の日曜」っていつのことだ?
私はカレンダーは月曜始まりでないと許せない方なのだが
世の中に多く流布してるのは日曜始まりだな。
あれは何故なのだ?
神が天地を想像して7日めに休んだのが日曜なんだろう?
それに「週末」というのは土日のことなんだろう?
芝居だって金土日ワンセットでやることが多いし。
土曜と日曜を切り離す、あるいは日曜と月曜をつなげるメリットは
何なんだ?
推量1/シンメトリーが好きな人は右側にハデな色が片寄るのがイヤ
推量2/仕事中心の人が書き込むときに左右に余白が欲しい
推量3/週の始まりを「憂鬱な月曜日」にしたくない
・・・この程度しか思い浮かばないぞ。
誰か教えてくれ。

さて「先週の日曜」だがそういうわけで私はあまりそんな言葉を使わない。
紛らわしいし必ず別の言葉で言い直さないといけないからだ。
「使わない」と言いながら3行目でいきなり使ったからこんな話に
なっているんだがな。

まあそんな日曜にだ、スキーに行った。
といっても信州なんかに行ったのはもう遙か昔だな。
今は全然そんな余裕がない。
5歳のこどもを連れて行けるほどのパワーもスキーテクもない。
行ったのは「六甲山人工スキー場」だ。
リフトが両側に2本あるだけの小さな小さなスキー場。
それでもこどもを滑らせたり、何年も滑ってなかった者がリハビリに滑るには
ちょうどいいところなのだ。
近いし。
うちから30分くらい。
たぶん神戸市内からでも。

というわけでこないだの日曜も(←最初からこう言ってとけば早かったな)
お気楽に出かけた。
妻が身重なので娘と二人で出かけた。
声が大きく自分の言いたいことばかりを主張し人の話をまるで聞かない娘から
1日解放されて妻は喜んだ。
前々から連れて行く約束をしていたのだがあの数日続いた4月なみの陽気で
今年はもう無理かとあきらめてもいたのだが
先週末のあの寒波だ。
(な、「先週末」には「先週の日曜」も含まれるだろ)
がぜんその気になった。

朝から日差しが強かったので日焼けをおそれて
ベトベトに日焼け止めを塗り、
家からスキーウェアを着込み、ご近所に見られると恥ずかしいので
すばやく車に乗った。
朝から、とは言ったがうちの日曜の「朝」は1時間ぐらいで終わり、「昼」になる。
出かけたのは1時ごろだった。
出発すると日が陰りはじめ、
日焼けの心配がなくなったな、などと呑気にかまえていたが、
山道に入るといきなり吹雪いた。
それでも神戸からわずか数キロの、というより神戸市内(北区)にある六甲山で
チェーンが必要だとは思えず、
「チェーン装着車以外通行不能」の看板を無視して進んだ。
まあ少なくとも帰りは下りだから、帰れないことはないだろうと思った。
日陰になっているカーブがいくつか雪が溶け残っていたが、
他は快適なドライブだった。
チェーンは、持ってない。

スキー場に着いた。
滑ったり転んだり雪だるま作ったりぜんざい食べたりして遊んだ。
そのうち、時折降っていた吹きがやまなくなり、空も暗くなってきた。
ふと「やばい」と思った。
時計は4時を過ぎている。
このままどんどん気温が下がったら道路が凍結する。
スキー場はナイターでやっているのだが、
急いでレンタルの板を返し、車に乗った。
駐車場にはまだ車がたくさんあったが、チェーンを付けているのはほとんどなかった。
ましてこんな土地でスタッドレスなどはいている車なんてない。
彼らは大丈夫だろうか。

スキー場を出て驚いた。
スキー場内はいつも人工降雪機によってそこだけが雪国になっているのだが、
この日は六甲山全体が雪山になっていた。
道路は真っ白。
この文章、雪国に住んでいる人には怖さがわからないと思うが、
何十年かに一度の積雪で街なかで転んで死ぬ人が出るような
雪の降らない地方の住人には、
油断している間に降り積もった雪は、怖い。
いやまだ私は怖さを自覚している分だけよかったのだろう。

娘の手前、平気な顔を装いながら進んだ。
駐車場から六甲山を縦断する道路に出るまでの数百メートルが登りで、
ここだけが心配だったが、幸い滑らずに登り切れた。
あとはぶつけさえしなければ帰れる、と思った矢先、
左カーブでハンドルが不能になった。
安心してスピードを出しすぎていたらしい。
といっても30kmくらいだと思うのだが。
ゆるい下り坂。
曲がりきれずに車はまっすぐ進む。
反対車線に入ったところでやっとグリップしてくれて
危うくもとの左車線に戻れた。
対向車が来ていたら、ぶつかっていた。

こういう場合はとにかくゆっくり進むことだ。
言い聞かせながら道を下っていくと
前方が渋滞している。
まずい。
事故で道がふさがっていたらその間に気温がどんどん下がり
ますます帰れなくなる。
助けを呼ぼうにも携帯は圏外。
神戸の夜景を見下ろせるスポットにでも行けば電波は届いているのかも知れないが
このあたりは全然だめ。はっきり「圏外」だ。
先日「パケホーダイ」につられてやむなく
movaからfomaに替えたせいかもしれない。
とにかく私が唯一持っている携帯は圏外だった。
万一の場合はどうするか。
車を放置して、
5歳の娘を連れて夜の雪道を歩いて帰らないといけないのだろうか。
いやそれは危ない。
転ぶものイヤだしスリップした車に轢かれる。
では車内で夜を明かすしかないのか。
妻は心配するだろうが、連絡はとれない。
どちらにしても無事ではすまない。

などと思い巡らしていると、前の車が進み始めた。
どうやら対抗車線に、スリップして動けないワンボックスのワゴン車がいる。
途方にくれている。
それでもあがいてエンジンをふかしては
余計に体勢をくずしている。
ヘタをするとこちらの車線まではみ出してきそうだ。
それを牽制してこちらの下り車線は止まっていたようだ。

その車が落ち着いたので皆進み始めたようだ。
ところが私の前の車が動かない。
その車もワンボックスのワゴン車だ。
どうやら車体が重すぎるせいで坂道の雪には弱いらしい。
運転していた兄ちゃんが出てきて「ハンドルが効かないんです」と言った。
とても気の毒だったが、手伝えることは何もないし
娘を巻き添えにしたくなかったのでお先に失礼することにした。
斜めに向かい合っている2台の車にしばらく動かないよう頼み、
その間をすりぬけるようにして進んだ。

幸いうちの車は彼らほど重くなかったせいか
それ以上スリップはしなかった。
後ろから着いてきていた四駆の車が、不安なのか妙に接近してくるので
追突されてはたまらんと思い、手で合図して離れさせた。
そして終始20km以下の遅さでゆるゆると山を降りた。

いま私は無事ここにいる。
しかしあの日、あの2台のワンボックスを始め、あの山に取り残された
車はたくさんいたことだろう。
彼らはどうしただろうか。
無事に降りられたならいいが。
軽くぶつけるくらいの事故は山ほどあったに違いない。
夜を明かした者もいただろうか。
誰かその時にあの山にいた人がいたら、メールください。

日焼け止めは、全然いらなかった。




2004.10.15
らもさんを送ってきた


というよりも僧正たちが送るのを見守ってきたという感じ。
「うたっておどってさわいでくれ 〜RAMO REAL PARTY〜」は なんばハッチでの1次会と心斎橋サンホールでの2次会、
合わせて朝までつづく大イベントだった。
しかしすごい顔ぶれだったな。
ムッシュかまやつ、鮎川誠&シーナはじめ大物ミュージシャンたち。
だってこれ、いわばお葬式なのに仕切りはウドーなんだ。

ところで「演劇界」の人たちは
升毅、古田新太、G2、牧野エミ、川下大洋、コング桑田、山内圭哉、そして宇梶剛士
というメンバー。
楽屋ではこれに立原啓裕、桂九雀、旭堂南左衛門が加わってひとつの部屋にいた。
夕方楽屋に入るなり皆ビールを飲み始めた。
まあらもさんのお葬式だからね、そりゃ飲むよみんな。
舞台の方で「式典」が行われている最中、楽屋はずーっと宴会なわけだ。
むしろ宴会の途中で皆抜け出してちょっと舞台に顔を出して帰ってくるという感じ。

ところで僧正がミュージシャンとしても頻繁に出演しているのであまり楽屋にいない。
するとなんと古田新太が一番下っ端。
古田は楽屋入りするなり焼酎を求めて広い楽屋フロア内をうろうろしていたんだが焼酎がない。
買いに行くしかないんだがパシらせる者がいないので
なんとコボリさん(今回のとりまとめ役の偉い人)に焼酎を買いに行かせてた!
楽屋では皆「コボリさんにパシらせるなよ古田!」と言うのだが
だからといって「じゃあ自分が」とパシる者は誰もいなかった。

というわけで焼酎も無事手に入り、みんな気持ちよく舞台へ。
後は観た者が知るとおりのセレモニーだったわけだ。
もちろん楽屋はあの後の方が長かったわけだが。
私は都合で途中抜けていたのでハッチでの顛末は知らない。
ひとつ確かなのは10時終演のはずが、出演者のみんなは12時すぎまであそこにいたということだ。
名残を惜しんでたんだろうね。



2004.10.2
オーディションカフェ


きょう、うめだ花月10月11月の【芝居もん】「オーディションカフェ」の初日が明いた。諸君には特にアナウンスしていなかったが私が作・演出している。出演はバッファロー吾郎の二人とたむらけんじ、竹中絵里の4人。50分ほどの芝居なのだが今回私は芸人さん用の台本を書くということはしなかった。4人がほぼ出ずっぱりの、半ば密室劇に近いシチュエーションでの密度の高い芝居だ。当然セリフは完璧に入れてもらい、それを前提に芝居作りをした。間やメリハリも役者と同じレベルを要求した。芸人さん達は芝居をさせるととてもマジメだ。セリフを入れてくれと言うとほんとに一生懸命入れてきてくれる。その辺の役者よりよほどマジメだ。まあ彼らが忙しく、あまり稽古できないという事情もあるのだが、並行して自分たちメインのイベントや寄席の出演、テレビの仕事などをこなしながら数日でそれだけのセリフを入れてくれるのだから頭が下がる。さらに稽古場でも、時間がないこともあって普段の Piper の稽古のような遊びは一切なし。集合したらすぐに稽古、数時間の稽古のうち休みは5分や10分のが数回だけという過酷さだ。いや普通と言えば普通なんだが。Piper がゆるいだけか? とにかくそのハードな稽古に一切文句は言わずに彼らは黙々と耐えてくれた。そして今日だ。毎日演目が変わるうめだ花月の特殊なシステムのため、リハーサルは前日深夜。ゆうべ12時に始まって3時までリハだった。そして午後3時からと6時からの2ステ。結論から言うと皆素晴らしい。芝居の世界を壊さないように素に戻ることなくギャグやアドリブを入れるのはまだこれからの課題というか楽しみだが、私の高い要求をかなり満たしてくれている。きょうの本番を見てずいぶん私も欲が出てきた。もっと面白くなるんじゃないかと。とはいえほぼ一週間に1回といういやらしいペースでの公演がこれから2ヶ月続く。やはり他の仕事をたくさんこなしながら。毎日やる公演のようにどんどん積み重ねて行くのは難しいだろうがぜひチャレンジして欲しい。そして諸君ももし興味があればそんな彼らの姿を見てやってほしい。以下のうめだ花月のサイトで【バッファロー吾郎・たむらけんじ】の【芝居もん】がある日を見つけてくれ。うめだ花月の公演は2時間のうち前半が漫才やコントの【ネタもん】、後半が【芝居もん】だ。テレビではなく生で彼らの本芸を見られるのも楽しいぞ。
http://www.yoshimoto.co.jp/umeda/program/index.html
いやそれにしても自分が出演しない芝居の演出は本当に緊張した!



2004.7.16
夏 in 沖縄


またまた季記化したな。というより春が飛んだからもう隔季記だ。ひみつ学会の間一切書かなかったしな。こんなにムラがあっていいのか私は。いいのだ。こんなムラで生きてきたのだ46年間。そして世の中は夏休みだ。北日本の人たちには悪いが梅雨なんて外国の話のようだ。洪水でなくなった人までいるうえにまだまだ雨が降り続くという一方で、こちらは完全に真夏だ。梅雨というものがなければこんな早い時期から暑くなるということか。それとも地球温暖化か。両方だろうきっと。きょうは宵山だったな。宵山といえば以前はたいてい雨降りだった。降らなくても湿度100%で浴衣なんてとんでもない不快指数だった。今年はかなりマシな感じだな。とか言ってるうちに京都のウェブカメラのページを見つけたぞ。現在の四条通の様子とかが見られる。コントロール権を得た人は自分で向きやズームを変えられる。これは楽しいな。けっこうアップにできるし。17日は山鉾巡行も見られるんだろうな。仕事だと偽って京都へ出かけるときもこのカメラのあるポイントは避けた方がよさそうだぞ諸君。さて京都はどうでもいい。今年は沖縄だ。何しろ今までずっと行きたかったのに行けずにいたところだ。行けただけで、そして台風に当たらず無事に行ってそして予定通り帰ってこられただけでも幸せだ。ましてずっと晴天にめぐまれた私はほんとに幸せ者だ。なんといっても海がきれいだった。本当に砂が白い。一粒一粒をよく見るとそれが珊瑚や貝殻が砕けて砂粒になったものだとよくわかる。そして海がエメラルドグリーンだ。映像や写真ではなく肉眼でちゃんとそんな色に見える。空の色は写真だと日差しの強さのせいで相対的に空が濃いーい青に映るが、さすがに空はこっちと変わらない。それにしてもこれまでテレビの仕事で何度「沖縄の海は美しい」とナレーションしたことか。見てきたようなことを言ってすまん、視聴者。見てもいないのに言ってた。これからは「見てきたとおりに」言うよ。沖縄の海はほんとに美しい。それにあたたかい。長崎だって南国だと思う人はいるだろうが長崎の海はたぶん日本の他の各地とそう変わらないだろう。夏でも海は暖かいとは限らないからともすれば海水浴は寒さとの戦いとなる。一日中泳いでいたくても水に体温を奪われてリタイアせざるを得なくなる。だが沖縄ではどれだけ長時間水の中にいても平気だった。しかしこれは私が最近の暑い夏になってから海へ行ってないせいだろうか。今では沖縄以外の海もあたたかいんだろうか。まあそんなことはどうでもいい。とにかく景色がきれいで海がきれいであたかかくて楽しかったということだ。そして妻も娘も同じことを感じたということだ。人と思いを分かち合うのは大切なことだな。Y局で音響をやっているM嬢は昨年の大台に乗る誕生日をたったひとりで過ごすことに危機感を感じたまではよかったがなぜかそこで「思い出に残る誕生日にしよう」と沖縄日帰りツアーを敢行した。滞在は4時間だったらしい。しかも翌日仕事だというのに帰りの飛行機に乗り遅れてさんざんだったという。そして今年はその反省をふまえて、8月末に4日間やはりひとりで沖縄へ行くらしい。だが改善すべきだったのは「日帰り」より「一人」の方だったな。彼女のユニークさは讃えたいが見習うまい。とにかく私の地図に沖縄が加わった。これで通過さえしていない都道府県は青森・秋田・岩手・山形・高知の5県のみとなった。私の中では未だに仙台の先は海になっていて、その先は北海道だ。大王に長崎へ行かれたからには私も山形へ行きたいのだがな。まだ実現しそうにない。いやそれにしても沖縄。んー、沖縄。私が中学の頃まで海外だった沖縄。右側通行だった沖縄。行った者のうち何割かは「永住したい」と言い、さらに何%かはそれを実行する沖縄。「クイズ!紳助くん」であまりに何度も取り上げるので業界では私の声を聞いただけで沖縄を思い出す人さえいる沖縄。九州に含まれるのか含まれないのかはっきりして欲しい沖縄。地図で見たら奄美大島まで含めたらいいんじゃないかと思う沖縄。お菓子はちんすこうしかないのかよ!と思っていたがそのちんすこうのあまりのおいしさにちょっとはまっている沖縄。あーまた行きたい。



2004.3.14
吹雪の仲間たち


先週の土曜日、F田T球に誘われるまま大阪K馬橋の公園のバーベキュー会場へ家族で出かけた。
そこにはM野EミはじめG藤Hろひと・K見K夫妻、
Y内T哉はいないがその妻子と妹、Mんざえもん、
SクエアのU田I軒、I原S一ショーのI原S一、
もとSとばこまちの連中、あとここでは名前をあかせないある男など、
寒いにもかかわらず大勢が集まっていた。
予報は晴れ時々雨。気温は冬なみ。
それでも様子を見ながら決行しようということで、冬のバーベキューをスタートした。
言い出しっぺのF田T球が翌日から忙しい、というのがこの日やることになった理由だった。
寒かったが全員完全防寒で楽しそうだし、
日差しだけは春の明るさだった。
しかし肉が焼けたころ雨がポツポツ降り始め、突然強風が吹き、
雨は雪に変わり吹雪になった。
「なんじゃこらー」と皆が口を揃えた。
撤収か?とT球理事長が準備を始めると斥候のD王が叫んだ。
「理事長!西の空から晴れ間がやってきます!」
「よし、じゃあそれまで待とう!」
理事長の判断は正しかった。
雪雲はほどなく去り、
肉に変わってししゃもを焼きながら、みんなで春の日差しを楽しんだ。
しかし日差しは春だったが気温は真冬だった。
そしてD王が叫んだ。
「理事長、西の空から地獄のような黒い雲がやってきます!」
「なにー! ・・・どうしよう」
迷っているうちにすぐに吹雪の第二派に襲われた。
だがもう撤収しようという者はいなかった。
酔いも回ってはいたが、それ以上に2度の吹雪を耐えたことで
皆の中に連帯感が生まれ、気持ちもハイになっていたのだ。
結局夕方になり日が傾くまでそこにいて、
マシュマロまで焼いて食った。
さらに二次会の飲み屋に場所を移して夜中まで飲んだ。
楽しい一日だった。
きっとみな生涯忘れないだろう。
あの吹雪のバーベキューは。

翌日から私を待っていたのは確定申告だった。
当初2/15に一番乗りを目指していたにもかかわらず、
領収書の整理を始めたとたんに胃が痛くなって放っていたのだ。
わたしは大量の数字を前に真剣に物を考えると胃が痛くなる。
脳のシャッターもガラガラと音を立てて降りる。
結局郵送できるギリギリまでかかってしまった。
会社勤めをしたいと思ったことはないが
このときばかりはサラリーマンの諸君がうらやましく思えるよ。
しかし申告書を投函した私はいま、鳥のように自由だ。
今日は日差しばかりか気温も春。
河原の公園には子供達の明るい声がひびく。
ベンチでぼーっとしながら
「理事長、バーベキューはこんな日にしましょうよ」
と独り言を言った。



2004.2.20
暖かい!


「4月上旬なみ」!・・・なんてすてきな響きだこの言葉。「4月上旬なみ」! もちろん5月や6月なら肌寒さを表すわけだが今は2月! なのに気温は4月! まるでチーズバーガーを頼んだらダブルチーズバーガーが出て来たような、タクシーを拾ったら車種がリンカーンコンチネンタルだったような、そんなお得感でいっぱいだ。

時候の挨拶はほどほどにしたいのだが、いつもいつも気温の話をするのにも実は道理がある。私はどうも変温動物じゃないかと。一定以上に気温が上がってくれないと体温が上がらず、肉体的にも精神的にも頭脳的にも活動ができない。

きのうは陽気のおかげで久しぶりに吉本まで行きモンザえもんと会った。そして案件をふたつも同時にスタートさせた。いずれも今年の私の動向に関するものだ。大王・僧正とくらべて動きが地味だと思っていた諸君、心配をかけたな。近いうちに詳細を発表するから楽しみにしておいてくれ。実はふたつどころか頭の中にはあといくつか浮上しかけていることがあるんだが、それもまた近いうちに水面に飛び出したところをさっとつかまえて形にしてしまおうと思う。

なにもそんないっぺんにと思うだろうが、逆にまんべんなくこつこつとやるのができないたちなのだ。やるときはいっぺんにやる!! 一個一個のクオリティなど気にしない。勢い優先だ。その方がクオリティもついてくる!!!・・・抽象的なことばかり言ってもさっぱりわからないだろう。ふふふ。まあやきもきしていてくれ。

とまあ私の文章を見ても陽気のせいではしゃいでいるのがわかってもらえると思う。次の冬からは本気で冬眠、あるいは渡りを考えた今日の日だった。

(ちなみにチーズバーガーを頼んでダブルチーズバーガーが出て来たことはないがタクシーを拾ったらリンカーンコンチネンタルだったことはある)



2004.2.9
寒い!


いつも言ってるが私は寒いのが苦手だ。どれくらい苦手かというと、大王が暑いのが苦手なのと同じくらいに苦手だ。冬は寒くて外を歩けないし、夏は冷房が寒くて電車に乗ったり建物に入ったりできない。どれくらい寒いかというと冷え性の女の人とほぼ同じかそれ以上にだ。

しかしきのうはそんな私が意を決してスキーに行って来た。といっても六甲山にある<人工>スキー場だ。人工だが寒いので雪質は悪くない。ただし当然ながら、狭い。そして神戸から30分で行ける場所にある近さに加え日曜なので人が多く、こどもスキー教室がいっぺんに10クラスぐらい開講していた。黄色とか青とかのゼッケンをつけた子供達をかいくぐりかいくぐり、滑る。そしてリフトに乗る。短いリフトなのであっというまに上に着く。短いゲレンデなのであっというまに下に着く。子供達をかいくぐる。リフトに乗る。その繰り返しだ。なんでわざわざそんなところに行ったかというと、うちも子供連れだからだ。うちの子は根性の量が日本一少ないので、生まれて初めてのスキー、5分もしないうちに転んで「帰りたいー」と言い出し、先週買った幼児用の伸び縮み自在で3年着れるというスキーウェアは速攻オークション行きになると思われていたのだが、なんとか1日遊び、次回に希望をつなげた。ほとんど平地でクロスカントリーのように右、左、と歩いていただけだったが。自分はスキーをした!という思いが大切なんだろう。

さてここからは日記というよりBBSに書いてもいいことなんだが、あえてここに。

<<耳かき陳列!>>

去年の私のバースデイに大王が、私があわてて「違うよ!」と否定するとふんで「Docの欲しいものは全国の珍しい耳かき!」とおふれを出し、私が「それはいい!待ってるぞ!」と言ったら大王が「なんで否定しないんだよ!まるで俺達仲良しみたいじゃねえか!」と立腹したあの、バースデイ耳かき。誕生日はもとよりその後のパラレリ、スリーテナーズの公演、そしてなんとクリスマスにまで届けてくれる者が後をたたなかった。あらためて礼を言おう。ありがとう!!! おかげで69本、26都道府県+1カ国、集まった! もう一度言うが、私は別にコレクターではない。しかしさすがにこれだけ集まるとほんとに楽しい。あまりに楽しいので全部並べてみた。壮観だ。実に素晴らしい。コレクションするものの気持ちもわかる。私は違うがな。その証拠に袋から出してるだろ? コレクターが見たら「なんで!」と怒るに違いない。私は実用品は使ってこそ価値があると思うのでな。ちなみに本やCDの帯は買ったらまっさきに破り捨てる。さて諸君のくれた耳かきがどんなものだったか見たいという者も多かろう。そこで、並べたものを写真に撮ってみた! ・・・どうだ。壮観だろう。そりゃコレクターともなれば何百本何千本と持っているだろうがな。何度でも言うが、私はコレクターではない!耳かきがなくても生きていけるのだ。だから69本・26都道府県じゃ足りないんじゃないかなどと心配するんじゃないぞ。十分たくさんあって嬉しいんだからな。そりゃまあ、まだ都道府県は半分近くあるがな。まあ長い人生の間におのずと集まるだろう。ところで耳かきをくれた諸君が口を揃えて心配していたのが「他の人とかぶってるかも」だったが、はっきり言おう。かぶっていたのはたった一つだけだった! 何か知りたいか? それは! ほんとに知りたいか?・・・よし、発表しよう。それは! チッチ君と佳乃のパパ君がくれたフジテレビ耳かき「踊る大捜査線2・湾岸くん」だ! おめでとう! せっかくなので1本を娘にやったら大喜びしていた。(耳かきするときはまだ綿棒だがな)チッチ君と佳乃のパパ君は二人とも他にたくさんくれたので一つくらい重なっても全然OKだろう! な! OKだな!! ・・・よーし、みんな納得したところで、今日はここまで! これから寝るまでの間、思う存分、耳、かくぞ!!



2003.12.23
年末だ!


いやー。今年はまだ日記、3回しか書いてなかったんだな。これで4回目。
もはや月記とさえ呼べない。季記だな。キキ。
カタカナで書くと可愛い。
・・・今年4回目の日記なのに内容のあるものにはなりそうにないぞ。
しかしもう年末だ。今年を振り返ってみよう。

2003年は「発熱!猿人ショー」で明けた。
記念すべきPiper初のコント番組だ。
ほんとに面白かったぞ。
大王・僧正は忙しくてべったりは関われなかったのが気の毒なくらいだ。
そろそろ何らかの形で続編をやりたいものだ。

そして4月、Piperメンバーとその家族が全員うちに集結、花見をするはずが
急遽僧正がドラマの仕事で来られなくなった。
その翌日、娘が幼稚園に入園。
娘はどうやら幼稚園では人の話を聞かず自分の言いたいことを大声でしゃべりまくる問題児らしい。
私の推測ではたぶん自分勝手なルールの遊びを他人に強要している。
誰に似たのかと問われれば間違いなく私だ。

6月、G2プロデュース「ゴーストライター」。
8月、ゴーゴーハリケーン#3「パラレリ」。
10月、Piper#4「スリーテナーズ」。
今年出た芝居はこの3本。
3本とも大阪・東京でやった。
G2、Piperは東京でもやって当然だが私の「ゴーゴーハリケーン」の東京公演をやれたのは大きい。
自分の企画を持っていったのはほとんど10年ぶりだからな。

11月、妻が病気で手術。
入院は4日だったが、麻酔の後遺症でひどい頭痛が残り、しばらく家で寝たきりだった。
娘の送り迎えと家事をやった。
今は元気でピンピンしている。

12月、デジタルピアノを買った!
長年欲しかったのだが、やっと実現した。
オリジナル音源と、MIDI 音源を合わせると 300以上の音色が出るやつだ。
リアルなピアノの音が出るのはもちろん、ジョンロード(ディープパープル)のようなハードなオルガンの音が出る!
他にもハモンドオルガンをシミュレートしてあるなどオルガンの機能は満載で、
もうピアノというよりもオルガンだ。それもロックの。
肝心の演奏能力だが、それはこれから!!! 
子供の頃習ったことはあるがすぐ辞めたし。
今できるのは黒鍵をあまり使わずにいくつかのコードを弾くことぐらい。
練習するぞ。
そうそう。 MIDI の IN・OUT もついている。DTM 、いわゆる打ち込みもできる。
それもこれから!

「ラストサムライ」を観た。
すばらしい映画だ。
私は何度も泣けてしまった。いろんな思いで。
かっこよかったのはやはり渡辺謙。すごいねー。
悔しかったのはあんなにかっこよく日本を描いた映画を日本ではなくアメリカに作られてしまっていいのかということ。

「ヘドウィグ&アングリーインチ」を観た。
すばらしい映画だ。
4年間オフブロードウェイの舞台で育てた作品を芝居のメンバーほぼそのままで映画化したそうだ。
内容も舞台で練り上げたものなのでとても完成度が高い。
歌で語られるのがストーリーではなく心情だし、ずっとステージで演奏してるから
あれを「ミュージカル」と呼ぶ日本人は少なそうだが、本人たちはきっぱり「ミュージカル」と言っている。
まあそんなカテゴリー分けはどうでもいい。
面白ければいい。

ディープパープルの新作「バナナ」を聴いた。
なんだバナナって!
・・・あ、「バナナズ」だったけど。
ブラックモアとジョンロードがいない今のメンバーはどうなんだろうと思ったら、
ちょうど第二期の「ファイアボール」あたりのイアンギラン中心の楽曲(だと思うが)のテイストをすごく洗練させた感じかな。
私にはとても聴きやすくていい。
来年ライブ観るぞ!

「止まれない12人」を観た。
いやあ面白かった。
芝居をやる者は皆そうだろうが、私も自分の出ている芝居は観たくても観れないジレンマにいつもさいなまれて来た。
それが今回実現した感じ。
ずいぶんメンバーが替わったのに大王は書き換えをしなかった。
さすがだねえ。今回のメンバー。
いくつかアドリブ(または稽古中のアドリブを固定したもの)はあったがそれはそれ。
前回のままのセリフでちゃんと新しいバージョンを完成させていたよ。
小須田さんに関しては私とずいぶんアプローチが違うので勉強させてもらった。
私にとっての今回の最大のヒットはくすみちゃん。
さすがだー!

IQ5000「TWO DASH」を観た。
いやあ面白かった。
最初はなかなかストーリーが進まずこのまま行くとやばいと心配したが、それは腹筋の作戦だった。
一見まるで関係のないふたつの話は物語の上では最後まで関係ないままなのだが、
観る者の心情の上では見事な加速度でリンクしていく。
とくにゲストの明楽哲典氏率いる源義経の軍勢がただひたすら山を越えるシーンが何度も出てくるのだが、
明楽氏が腹筋の要求に応えて見事な身体表現を見せてくれた。
劇団としては若いメンバーが多いのでまだこれからという部分もあるが、
もっともっと多くの人に観てもらっていい芝居だ。

「クイズ!紳助くん」の忘年会に出た。
いつもジャンケンで景品をもらえるコーナーがある。
去年私は見事に勝ち抜きオイルヒーターをゲットして家族に喜ばれたのだが、今年は D-Snap を狙ってあっさり敗退した。

いやあ今年もあと1週間だな。
年賀状つくらないと!

おっそんなこと言ってるうちに日付は24日になろうとしている。
メリークリスマスイブ!




2003.9.14
まだ夏だ!


9月に入ってますます暑くなった。
前回の日記から早くも5ヶ月近くが経とうとしている。
これじゃ日記どころか月記どころか年記じゃんと言われそうだ。
でもやっと書きたくなったから書く。
それにしてもこのページいったい誰が見ているんだろう。
まあ誰か見てるだろう。
実はたいして気にしてない。
とにかくこうして書き始めてみた。

さて何から書こうか。
やはりパラレリか。
脚本を書かねばと思い始めたころからこのページが書けなくなってこんなに間が空いたわけだ。
やっとこうして書けるようになって初めて1本芝居が終わったなと実感している今日この頃皆さんいかがお過ごしか。
とは言ってもあの芝居に対する思いは週パイに書いたんでここでは省略しよう。
色んな意味で力を出し尽くし同時に全然力の及ばなさを痛感したとだけ言っておきたい。
まあきっと私にとって大きな一歩であることは間違いないだろう。

さあ芝居のことはさておいて、久しく見なかった映画・DVDを最近たて続けにいくつか見た。
劇場では、
チャーリーズエンジェルフルスロットル
マトリックスリローデッド
ターミネーター3
ハルク
英雄(HERO)
トゥームレイダー2

DVDでは、
ロードオブザリング
チョコレート
チャンス
グラディエーター
恋に落ちたシェイクスピア
愛しのローズマリー
トリック
バトルロワイヤル
テルマ&ルイーズ
ハウスシッター結婚願望
バンデットQ
ワンスアポンアタイムインアメリカ
ラウンドミッドナイト
ダイアナザーデイ
見た順番もぐちゃぐちゃだし、初めてのもあれば何度目かのもある。

しかし並べると多いな。
いちいち感想を書くのも大変だ。
よしここはチャーリーズエンジェルのすばらしさを書くにとどめておこう。
何がすばらしいってそりゃあれだけ楽しい映画はめったにない。
楽しさというのは人によって違うので、いやいやこっちの映画の方が楽しいと思う人は絶対いるだろう。
私自身も他に楽しい映画はいくらでもある。
しかしチャーリーズエンジェルという映画が偉いと思うのは、
いかにもほら楽しいでしょ、というのをあからさまにやっていることだ。

これは実はとても難しいことだ。
いいわけできないからね。
アクションでがんばってるとか、ビジュアルがすごいとかいうのは
それなりにお金と時間をかければできるんだろうが
楽しいという主観的なことを人に与えるのはとても難しい。
コメディの難しさはそこにあると思うんだ。
同じ事を笑いを入れずにやる方が簡単に決まってるからね。
逆に笑いのための笑いにもならないようにしなきゃいけないわけで、
バランスが大変なんだ。

そのバランスをとても大切にしてる作家は実はとても身近にいる。
大王だ。
奴に笑いだけあるいは笑い抜きで書かせたらすぐに1本書けるだろう。
でも奴はそれをしない。
それでいつもなかなか書けずにいる。
スリーテナーズの稽古まであと一週間を切ったが果たして今回はどうだろう。
でも我々は安心している。
遅いのはそのバランスを何より重んじているからだ。
だから大王が書いてきた本はいつもとんでもなく面白いのだ。
それを観客より先に台本という形で我々が見れることはすごい特権だと思っている。
・・・しかしもう少し早くならんか、大王。




2003.4.17
春だ!!


すっかり春になった。
娘はようちえんに通うようになり、それに合わせて以前はヘタすると朝7時まで起きていた生活が朝7時起きになってまるで地球の裏側へ来たようなサイクルになり、寒い間は乗らなかったバイクに乗れるようになり、関連講師で教えに行ったえんぶゼミ後藤ひろひとクラスの生徒たちは「じき5月なのにまだ終了じゃないの?」と不思議がりながらもなんだか将来明るそうにしており、Piper家族(ただし僧正と魚人は仕事で来られず)で寒い中お花見をしたうちの前の河原の桜もすっかり葉っぱになり、(大王のくれたにごり酒はほんとにうまかった。)凍えながら撮影した猿人ショーの思い出も冬とともに過ぎ去って行くような気がし、でもあとワンクールやってたらきのうの Mathew's TV のローカル番組特集で取り上げられてたかなあいやそんなことより早くDVD発売を決めてその売り上げで話題になってやるなんて思い、娘の幼稚園への通園路に決めている河原の道ぞいには小さい花がいっぱい咲いてモンキチョウが飛ぶのを見た娘に「あ、きいろいちょうちょだねえ、はじめて見たねえ、お父さんもなつこもきいろいちょうちょはじめて見たねえ」と勝手に決めつけられ、長年使った Mac がいかれて新しくやってきた G4ノート12" のおかげでどこでもDVD見たりサイト更新したりできるようになり、それでも通信に使っている AirH" はピッチなので新幹線の中ではメールも読み込めなかったりし、去年もらったエスプレッソマシンで飲む用に近所のおいしそうな豆を挽き売りしてくれるコーヒー屋さんで買った豆があまりにまずくてしばらーくがまんしていたのがやっとなくなり妻が買ってきた「Illy」の豆に変わったので朝のコーヒーがとてもおいしくなり、大王が週パイで「The Worst Day」の話を書いてたけどこないだ長崎から来てたうちの母親が近くの神社でひいたおみくじは「凶」だったけどあのときも「今がいちばん悪いってことだよ。よかったね」って言ったけどだからと言って「大吉」をひいたときは誰も「今が人生のピークなんだ。あとは落ちていく一方なんだ」って悲しんだりはせずに「私はラッキー」とすなおに喜ぶのは何でだろうそれってダブルスタンダードだよなって思うそんな春だ。

さてそんな中、私の「パラレリ」執筆はなかなか始まらない。「ゴーストライター」の稽古が始まるまでには書き終えたいんだが、稽古が始まるまでにはどっか旅行にも行きたいし、せっかく身近にあるUSJも格安フリーパスができたんだから行きたい! 全部実行してやる!!




2003.3.25
やっと日記再開!!


今年に入って三ヶ月たってやっとだ。
ほんとに間があくと再開しづらいものだなあ。
発熱!猿人ショー、最後のロケが終わったのを機に書くよ。
芝居の公演が一本終わったような打ち上げだった。
まだオンエア終わってないけどね。
監督のタルミーはまだ編集してるけどね。
私は明日最後のナレーション入れに行くけどね。
楽しかったよ。
またやりたいよ。
今度やるときはあんなふうに、みたいなことも色々思っているよ。
その一番めは予算がもっと欲しい!だよ。

ところで暖かくなったな、やっと。
きょうは春の装いで出かけて靴まで買ってしまったよ。
日一日と花見の季節が迫って来ているな。
うちの目の前の河原が桜の名所なんだが、たぶん来週には花見客で溢れる。
そして毎晩、朝まで阿鼻叫喚を繰り返すのだ。
去年ひっこしてきたときはほんとに驚いた。
しばらく寝不足だった。
だからことしは自分がそこで朝まで飲みまくるのだ!
見てろよー。




2002.12.31
さようなら2002年!


おおみそかだし、一年を振り返ったりしてみよう。
今年、最初に舞台に立ったのは大王のえんぶゼミ公演だったな。
「講師として生徒たちと共演してくれ」というわけのわからない大王の言葉に
二つ返事でOKした。
ゼミ生たちはみんないい奴だったな。元気にしてるだろうか。
天王洲アイルのまだ肌寒い春の日差しの中でセリフ合わせをしたのが忘れられないよ。
ていうか今思い出したよ。

そして桜の頃は引っ越しだ。
わたしは引っ越しが好きなのだ。
大阪の町なかに生まれ育った妻の実家近くにいたのをわざわざ離れて西宮に住んだよ。
川のほとりの桜と松に囲まれた小さな家なんだ。
引っ越したときがちょうど桜の見頃で、家の真ん前の河原で連日酔っぱらいが朝まで嬌声をあげ続けるのには閉口した。
「静かなところだっていう条件で引っ越したのに」
(このセリフは「猿人ショー」のどこかに出てくるぞ)
小さい借家だが庭には「プール」と名付けられた池がある。
幼児にはちょうどいいプールなのだ。
夏は妻子がキャッキャと水遊びしていたぞ。

芝居の方は5月に川下大洋劇改めゴーゴーハリケーン「ソフトマシーン」。
共演したのはまず【原 尚子】。
本番一週間前に別の公演があるというのに参加してくれた。
再演のオムニバス公演だからということで自分のパートをこちらの稽古前に完成させてから
来てくれたのだ。
どんな事態にも笑顔で対処する心の広さと、それを実行できる実力に舌を巻いた。
実は本番数日前にキャラクターをすっかり入れ替えるという稽古をやった。
結局稽古してきたのにほぼ近い線に戻ったのだが、その数日間は
相当参ってたに違いない。この場を借りておわびしたい。
そしてありがとう。
スクエアの二人は、芝居への取り組みがあまりに対照的なので楽しかった。
【奈須 崇】は理論だてて演技プランを完成させながら着実に稽古場で芝居を完成させていく。
自分のやっていることをいつでも言葉で説明できた。
そして改良した方がよいところは素直に変えていくしそれを楽しんでいる。
【北村 守】はまるで逆。
自分が何をやっているのか、何をやりたいのか言葉では説明できない。
演出や周りの役者は困ってしまう。
奈須はそのことに慣れているのだが、それでも言葉でも説明を求めて
「こうしたいんやろ?」「こうやねんな?」と質問する。
北村は「んー」と言ったきり答えられないという日々がつづく。
どうなるのかと思っていたらある日突然彼の中で何かが解決したらしく
素晴らしい芝居をみせてくれるようになる。
全然かみ合ってないじゃん!と思ってしまうが、
二人はとても仲がいい。
たぶんかみ合わなさすぎるせいでぶつかることもないのだろう。
そして【高木 稟】。
直前が転球劇場の本番だったたかりんには
「最小限の出番で最大限においしい役を」という約束をしていた。
もちろんこちらが言い出したことだが、劇場に入ってから
ボツ小道具のパラボラアンテナを使えるんじゃないか?ってことになって
ただ「ロボットになってしまう」というだけだったエンディングを
リモコンのロボットに変えた。
おかげでほんとに「最大限に」面白い役になった。

つづいてはPiper3年ぶりの本公演
「ホセ中村とギャッフンボーイズ※都合によりホセ中村は出演いたしません」
ひとりひとり振り返ると長くなるし大王も週パイでやってたからもういいか?
とも思うがやはり振り返らずにいられないメンバーだ。
そうだなあまず【武内由紀子】。
やっぱり主役からね。
初めて芝居らしい芝居に出るというのにいきなり主役。
OPD以来けっこう芸歴はあるし、本家を凌ぐ「SO.YA.NA」という大ヒットも歌ってたYuki、
さすがに度胸と根性は人一倍ある。
稽古場ではごく基本的なことからダメ出しを受けてた上に、大王の台本がとても遅く
本番までずっと緊張が絶えなかったと思う。
よくがんばった。
物語を支える奈々のキャラクターを見事につくりあげてた。
そして摩耶子、【西本はるか】。
パイレーツの名前がむしろ邪魔な世界でとてもがんばった。
声が小さいという弱点もあって稽古は相当つらかったんじゃないかと思うが
誰にも真似できない明るさと、あの不思議なキャラクターでどんどん
みんなをとりこにして行った。
酔っぱらったときのあのはじけっぷりをお客さんに見せられないのだけが本当に残念だ。
いつでも一番印象に残る【コング桑田】。
気が大きいのか小さいのかわからない大胆さと繊細さ。
体だけは確実に大きい。
ファッティははまり役だったなあ。
いやそれにしても年末に見た石原正一ショーの菊人形おとうはんの残像がバシーッと目にはりついてて
あの菊の花と花の隙間からしかコング君を思い出せない。
そして今でもホームグラウンドのプロレスのリングで ZIG ZAG を名乗ってくれてる【リッキーフジ】!
出会いってのは不思議だなと今でも思うよ。
プロレスにはもともと縁のない私が彼のような選手と間近で会い、一緒に芝居までするなんてね。
今回の出演者の半数がそうだけど、役者しかやったことのない者が決して持っていない大きな何かを持ってるね。
リッキーさんにそれを一番感じるよ。
そしてママ、【大西ユカリ】。
メンバー中彼女が一番いま勢いがあるんじゃないか?
ライブを精力的に続けDVDを出すほどの音楽活動の中、よくあの芝居に出る余裕があったと思うよ。
しかも芝居がうまい!
役者とちがうアプローチなんだけど(きっとライブのあのしゃべりで鍛えてるから)
人の心をつかむのがうまい。
目の前の私が最初にギュッとつかまれた。
小早川【石丸謙二郎】。
はじめてこの人をつかこうへい事務所の公演でみたときはダンサーだった。
キェーッと叫びながら裸同然で踊ってた。
(当時のつか事務所の人達はみんなキェーッと叫んでたが)
その頃は食うためにピエロもしてたらしい。
まあこの人のそういうエピソードは本が1冊書けそうだからおいといて、
とにかくダンサーなんだ、いつでも。
セリフしか言わないときでも。車窓の映像にナレーションしてるときも。ドラマで殺されて死んでるときも。
体うごかす役のときはもちろんそうだ。
今回くすみちゃんとのスカッシュでみんな納得したと思う。
赤目大明神【楠見 薫】。
実は女優が苦手な私だが、この人だけはいつでも「共演したい女優ナンバーワン」。
からみはあんまりなかったけど出番はいつもソデで見てる。
もちろん隣で大王も熱い視線を送ってるけどね。
それにしても赤目大明神、久しぶりに本領発揮したよね。
楠見薫という女優の奥の深さと幅の広さを同時に体験できるすばらしい舞台だった。
来年もぜひ一緒に!
でんちゃん【八十田勇一】
一番長く一緒に芝居してる八十田。
昔そとばこまちという劇団で一緒にやってたんだけど、そこをやめてから私は「芝居バンド」がやりたくて
DUMDUM団というのをつくって何年かライブハウスをまわって芝居した。
そのときのドラマー役者が八十田だ。
その後彼はそとばこまちに戻って看板役者のひとりになった。
だから彼がドラムを叩けて芝居がうまいのは当たり前なのだ。
にしても八十田は職人だね。
○とか□とか☆とかの形した奴らがゴロゴロといる中、八十田が舞台に立つと
そのいびつな隙間がぜんぶ埋まるんだよ。不思議だね。

ああ、週パイみたいになってきた。
いやね、私も週パイでこういうこと書きたかったけどあまりにあのコーナーの主旨に合わないからね。

さて次は「荒波次郎」だ。
ほんとに今年の夏は濃かったよ。
あのメンバーにつづいてこのメンバーと芝居したんだから。
再演でほぼ初演どおりの台本ということで
ギャッフンボーイズでは台本がなかなか仕上がらなかった大王も余裕だったね。
おかげで稽古場はいつにもまして遊び場になってた。
他の現場ではありえないよ、「ダンガンレーサーが終わったら稽古しまーす」とか。
コインで空き缶倒すサッカーで勝ったチームに負けたチームがアイスキャンディおごってからやっと
稽古はじめるとか。
でもね、大王は計算もしてる。
そういう遊びやった方が初めて一緒に芝居するメンバーはうち解けやすいんだ。
ギャッフンボーイズにくらべるとほぼ全員がバリバリのプロの役者なので、
うち解け合いさえすれば芝居はうまく行く。
さてそのメンバーは、
まず主役・荒波次郎【竹下宏太郎】。
彼は役者であり、米米CLUBのビジュアルを支えたプロのダンサーであるわけなんだが、
石丸謙ちゃんとちがって芝居のときはダンサーじゃなくなる。
ていうか宏ちゃんがダンスできるように見えない。次郎やってる間は。
それがすごいと思った。
不器用で漁師以外やれない風に見えたからね。
でも銃を構えると凄腕のスナイパーになれるんだ。
そして夜は自宅近くの店に自分専用のCDデッキとCDをキープしてあって
芝居のあとみんなで行くと宏ちゃんのDJでずっと音楽が楽しめる。
音楽への造詣の深さにも参ったよ。
そしてもちろんヒロイン・まりこ【宮崎優子】。
今年はほんとに踊れる人と芝居したなあ。しかも一切踊らない芝居。
まあ大王の本だからあたりまえだけど。
踊れるという意味では宏ちゃんとまるで違う意味でプロ中のプロ、
宝塚の女役トップ、風花舞だった優子ちゃん。
大劇場のヒロインをずっとやってた彼女をOMSで見れたお客さんはほんとに幸せだよ。
優子ちゃんもその点をすごく楽しんでた。
所属が吉本だから遊びっぽいことたくさんやってるかというと
意外とそうでもないらしい。
今回はとても楽しんでくれたみたいだ。よかった。
ひろし【曽世海児】。
彼もまた別の意味で「違う世界」の男だ。
耽美派劇団と大王が呼ぶ STUDIO LIFE 。
私はその舞台を見たことがない。
萩尾望都の世界を具現化した芝居など、恐ろしくて見れない。帰ってこられなくなりそうじゃないか。
素直に見られる諸君がうらやましい。
というわけでふだん曽世くんがやってる芝居はなかなか見られないんだが
彼も今回、自分が楽しみながらやってる姿が印象的だった。
「もう劇団に帰れない」と口癖のように言ってたな。帰ったけど。
とおる【鈴木つかさ】。
あれだけの数の日替わりゲストをよく毎日毎日さばいてくれたね。
さすがだよ。
実は大王・僧正を別にしたこのメンバーの中で、鈴木くんとだけ今一緒に仕事している。
「発熱!猿人ショー」だ。
鈴木くんは吉本のもと漫才やってた連中が集まってつくった「ザ・プラン9」で役者・演出をやってるんだが
今回猿人ショーではプラン9のメンバー全員に作家・出演者として協力を依頼しているのだ。
画面にもときおり顔を出してくれるし、
作家としてはなんと私を指名した台本をたっくさん書いてきた。
その一連のシリーズはまだ撮影してないんだがとても楽しみにしている。
痛そうなんだがあまりに面白いので嬉しいぞ。
ネタはバラせないが楽しみにしていてくれ!
大事な人【腹筋善之介】。
ああ堪能した。
優子ちゃんがラストに着物に着替えるために、普通だったら早変わりの衣裳をつくったりとか色々大変なんだけど
今回はその大変さをふっきん君に肩代わりしてもらった。
もちろん裏ではさぞかし大変な着替え劇が営まれていたはずだが、
それでも台本にして3〜4ページは時間をかせがなければならない。
というわけで大王はふっきん君に「台本のセリフ、4行しかないけど、4分にして」という依頼をしたわけだ。
今回台本の改訂は文字上ほとんどなされてないのだが、
ふっきん君の喋ってたセリフはラストに限らず台本にないものばかりだった。
まあ当たり前だが。さすがの大王もパワーマイムのセリフは書かない。
ほんとに堪能した。
毎回ソデの特等席で見れたし。
それにしても関西で観客動員ナンバー1劇団だった惑星ピスタチオの座長を
気軽に「ふっきんくーん!」と呼び共演する日が来るとは思ってなかったよ。
それももう天才脚本家、荒波次郎と2年つづき、
すっかり仲良しになれた。
いつか私もまたスキンヘッドにして、圭哉とふっきん君と3人で流刑宇宙人ものの芝居がしたいものだ。
飯塚警部【福田転球】。
とても意外だった。
アンケートに「転球さんがあんな芝居するなんて意外でした」というのが多かったからだ。
言われてみればここ何年かはああいう役見なかったなあと思うのだが
私にすれば転球くんとの出会いは初演の荒波のこの飯塚役であり、
その前に見た初演の「北大阪信用金庫」だったわけで、
もう彼の定番のキャラクターのように思っていたのだった。
まあ転球劇場であんなマジ切れた刑事なんか出てくるわけはないんだがね。
私の頭の中でゲイリーオールドマンと福田転球の区別がなかなかつかない時期はほんとにあったんだよ。
そんな転球君も「猿人ショー」に出てくれるぞ。
私とはすれ違いだったんだがいちどロケに来てくれてた。
まだ見てないんで、楽しみだ。

さてその猿人ショーだが、
荒波次郎を終えたわたしは舞台を控えていないので結構余裕があり、
この猿人ショーの準備にかまけることができた。

昔「週刊TV広辞苑」という番組をそとばこまちでやってた事があったんだが
それ以来のコント番組。
あのときも自分たちで台本を書いて持ち寄ったりしていた。
あの頃にくらべればましな台本が書ける気はしたんだが、それでも今回書いてみると
演劇的すぎてテレビでは使えなかったり、自分の思いこみが大きすぎたり。
やはりプロの作家、大王とくらべると無駄だらけだ。
そんなわけで秋はコントの台本ばかり書いてすごした。

秋だからどっか連れてけとせがむ家族を手近な京都や有馬温泉の日帰りですませたり(そういう場所が
日帰りの距離でラッキーではあるが)するうちに冬になり撮影が始まった。
撮影に入ると頭が役者モードに切り替わってしまい、ますます台本が書けなくなる。
肝心の大王は舞台の台本の締め切りを抱えてなかなかコントに手が回らない。
僧正も芝居の稽古で東京へ行ったきり。

さあどうなる猿人ショー!

と思ったら、昨日やったナレーションづけで編集された初回スペシャルが見られた。
お、お、お、おもしろい!!!!!
Piperがつくるのだからして当然といえば当然なのだがそれにしても面白い。
早くみんなに見せたい!
これ以上書くとネタバレだから、つづきはまた来年。

そして大王や僧正についてのコメントも、また来年。

じゃあ! よい新年を!!



2002.10.22
単発DVD日記



「バックトゥザフューチャー」3部作!
ついに出た。やっと出た。
どれだけ待ち望んでいたことか。

3部作がひとつになったパッケージ。
パッケージデザインはちょっと好みじゃないんだが
もうそんなことはどうでもいいくらい嬉しかったよ。

待ち望んでいたとはいっても実は「2・3」はどうでもよかった。
「1」さえ手に入れば。
売る側も大方そう思われてるのをわかってて3部作パックを先行発売したんだろう。
何ヶ月かしてから「1」を出すんじゃないか。

ところが、今回改めて3部作を通して見てみて「2・3」の良さを再発見した。
「2・3」は「1」が大ヒットした4年後に作られた続編だけに
作る側も2本連作にするなど工夫はしていたのだが、それでも
公開当時は「1」のインパクトを期待してがっかりした観客が多かったものだ。
だが今あのころの期待感がまったくない状態で見てみるととても素直に良さがわかった。

改めて見た感想。
「1」は、やはりほんとによく出来てる。
「できすぎ」なのが嬉しくなるつくりなのだ。
ご都合主義的な部分も含めて。
主人公が30年という時間をさかのぼって旅をすることで
人物ひとりひとりのエピソード、キャラクターが
どれもこれも輝くようにできている。

そして「2・3」の見方がわかった。
あれは、「1」のサブ・エピソードなのだ。
「1」がああいうお話として存在するために、陰でこんな大変なドラマがありました、
っていう、別に見なくてもいいんだけど見ると「1」がさらに面白くなる、
そんなメイキングみたいな位置づけの作品。
そう思うことにした。
するととたんに「1・2・3」が、3本通してひとつの作品として輝いて思えてきた。

ところで当然出てくる疑問だろうから先に答えておく。
私がDocを名乗っているのはもちろんあのドク=Dr.エメット・ブラウンに憧れたからだ。
ラストシーンの
「Roads? Where we're going, we don't need ..... roads.」はあまりにかっこよかった。
ああ、書いててゾクゾクしてきた。また見よう。
ラストシーンは最高だ。あのシーンのためだけに全体があるんじゃないかと思うくらい。
どこがどう最高かは、見てない人のために書かずにおこう。

でもあのシーン、制作者は単なるエピローグでつけたらしい。
だから続編が決まったとき、恋人を一緒に未来に連れて行くことにしなきゃよかったと後悔したそうだ。
話がややこしくなるから。
それで「2」の冒頭で彼女はいきなり眠らされ、そのまま「3」のラストまで通して眠ってるだけ
というとんでもない役回りにされてしまった。

まあ「2・3」では私が好きだった「1」のクラウディア・ウェルズとは違う人がやっていたんで
どうでもいいんだが。

それにしても。
「1」であれだけ大活躍したクリスピン・グローバー(マーティのお父さん役)。
彼ひとりが「2・3」の出演オファーを蹴ったんだそうだ。
あまりに「1」がヒットしたんで、イメージが固定するのを恐れたんだろうか。
そうだとするとどっちみち同じだったね。
チャーリーズエンジェルで謎の殺し屋役で出てきても
私なんか「あ、お父さん出てきた! がんばれお父さん!」って思っちゃうし。

そういう意味ではこの映画の出演者全員がすごく苦労してると思うよ。
マイケル・J・フォックスもクリストファー・ロイドもリー・トンプソンも、
それぞれその後も大作に出てるんだけどどうも今ひとつパッとしない気がするのは私だけだろうか。
全員「バックトゥザフューチャーのあの人」って第一印象から逃れられずにいるってことはないだろうか。
まあ私だけ、または日本だけのことかもしれないけど。


しかしネタバレしないように書くのも大変だな。
「バックトゥザフューチャー」見てない、って人はぜひ見てくれ。そしてメールくれ!
で、2002年のいま初めてあれを見た人の感想ってのをぜひ聞きたい!




2002.10.1
家庭イベント終了


一週間しか開いてないのに月が替わってしまった。やっぱり月記だね。

さてうちの幼稚園「選ばれ」だ。
「選ばれ」てやったぞ!
ついさっき手続きしてきた。S幼稚園。

しかし並んだ並んだ。ああ並んだともさ。
朝6時からの受付に前日の3時半から並んださ。
それでも前から20番目。
そして今年の募集人員がちょうど20人!
ジャストでセーフ!!
見事だろ?
いや受かったこともだが日頃行列ぎらいで
チケットにしろラーメン屋にしろ、行列を見ただけで「縁がない」「どうせつまらない」と興味をなくしていた私が
妻と交代でにしろそんなに並んだことがすごい。
自分をほめよう。

しかし面白いものだな。徹夜の行列って。
ある種の連帯感が生まれるんだな。
そういうの久しぶりに味わった。

もっと面白かったのは、奥さん達はどこの幼稚園がどうとかそんな話題で盛り上がるわけだが、
ダンナ達ってほっといたら黙ーーーってるわけだ。
深夜になるほど世間も静まるしやはり女性よりはとダンナ衆が集まる。
で、野郎ばかりが雁首揃えてだまーーって座ってる。
でもなんか気まずいから何か話さなきゃと思って話す。
どこの幼稚園がどうとか話すんだが、「そうらしいですねー」とか受け答えたら後はまた気まずくなる。
まあそんなもんだろう。
ところがだ、並んでた目の前が線路でときおり電車がガーと通るんだが、
「あの電車はワンマン運転だ」とか「終点の駅には常にもう1編成待機している」とか
乗り物の話題になるとがぜん盛り上がる。
やっぱり男だねえ。
で、またシーーンとなって、しばらーくしてまた電車がガーと通ると
「お、今の電車行き先表示が変でしたねえ!」「やっぱり?!!」と盛り上がる。
でまたシーンとなるわけだ。楽しかったよ。

さて無事手続きをして今日のおひる個人面接までクリアした娘だが、
幼稚園の玄関でほっと胸をなで下ろす母親に向かって
これまでの幼稚園巡りのクセか「次、どこの幼稚園行くん?」と大声で尋ねていた。



2002.09.23
初秋お見舞い


すごいな!
何がって自分の日記能力のなさ。
公開すればはげみになって少しは続くかと思ったが4カ月もさぼったよ。
驚異的というかこれはもう日記じゃなくて月記だ。
そんな言葉は当然変換もしてくれなかったし。
「げっき」って。

さーてね、前回の5/31からきょうまでの間に何をしてたかはもちろんみんなわかってるよね。
ギャッフンボーイズと荒波次郎だ。
その2連続公演も終わって久しぶりにダラダラした日々を過ごしているよ。

とはいっても水面下で大きな動きもあるし、
個人的にはけっこう忙しかったりもする。

水面下での話っていうのはPiperBoardでジャイアンがほのめかしてるけど、
まだ秘密なのでなーんにも言わない。
そして個人的にっていうのは家庭活動だ。
あ、いい言葉だなこれ。今度から使おう。
私は芝居活動と家庭活動とちゃんと両立させるのを目指しているんだが、
目下家庭面での大イベントは娘の幼稚園選びだ。
家の近所にいくつか幼稚園があるんだが、これが園によってずいぶん特色がある。
どこにするか。
もっとも門が狭いので「選び」じゃなくて「選ばれ」と言った方がいい。
ヘタすると一晩か二晩並ぶハメになりそうだ。
ちょっと楽しそうだけどな。

みんな連休はどっか行った?
私は淡路島「イングランドの丘」だ!
中に入るなりまずバスで移動させられる!
(じゃあ初めからそっちに来させろよ!)
そのバスは世界初の無人バスなんだそうだ。
もちろんレールなどない。決められたコース内だがちゃんとどこにもぶつからずに走る。
私が「ソフトマシーン」で予言した未来の自動車がもう実現していた!
そう。運転なんて機械的な作業は人間より機械にやらせた方が安全で確実なのだ。
ただしそこの専用コースはフェンスで囲まれて立ち入り禁止だったけどな。

そして移動した先でまず名物だというピザを食べ、遊んだ内容は
おもしろ自転車・ゴーカート・アーチェリー・乗馬体験(引き馬でコース一周)
幼児用バッテリーカー・コアラやワラビー見物・・・
どこがイングランドなんだ!!!
百歩ゆずってコアラ・ワラビーは大英帝国名物だとしても、なんで名物がピザなんだ!
ソーセージもうまかったし。
(かといってフィッシュアンドチップススタンドがあってもどうだろう)
あれなら別にイタリアの丘でもいいしドイツの丘でもいい。
別にカメルーンの丘って名乗っても誰も怒らないぞ。
とにかくテーマパークに国の名前つけりゃいいってもんじゃなさ加減が素敵で
思わず妻はお土産コーナーで地元の有機野菜とさしみワカメを買って帰ったよ。
ビバ! 淡路島。



2002.05.31
単発!DVD日記


きのうはリーサルウェポン4を見た。
いいなあやっぱり。寅さんのようにシリーズ続けてほしいね。
二人がジジイになっても、いやなったら余計にいい映画になるよ。
それ狙ってるのかもね。
まあメル・ギブソンがどんどんキチガイじゃなくなってきてるのが残念ていや残念だけど。
映画のよさは別のところにあるんだと思う。

とくに楽しみなのがレネ・ルッソ。
1955年生まれ?? 私よりみっつも年上??
あの映画のときで私と同い年?? どうりでただものじゃないと思った。
彼女がハリウッドの倍賞千恵子になることを期待してます。

それにしても毎回ひとりレギュラーを増やしてる。
そのうち「太陽にほえろ」みたいに今回の主役はヤマさん、てなことになるんじゃないか。
それも画期的だよね、映画としては。

はやく「5」が見たい。
それまで「1」〜「3」をまた見よう。
あ、その前に昨日買った「ダイハードBOX」だ!!



2002.05.31
大王のすごさを痛感する日々


思い返せばソフトマシーンは、稽古や本番よりも台本を書いていた期間が苦しかった。
本を書くのに1月からの約4カ月をあてていたので、苦しい時間も長かった。
本書きに時間を長くあてればいいってもんじゃないんだが、大王みたいに短期間で書けるという実績も
自信もないから、少しでも良くしようと思ったら空いてる時間を全部使おうと思うのだ。
その間にえんぶゼミの公演に出演したり家を引っ越したりもしたが。

4カ月の間で実際本を書いていた期間なんてせいぜい数週間だろう。
1週間くらいかもしれない。
でも1週間連続でスラスラと書き続けるなんて不可能だ。
10日ほど Mac に向かっても1行も書けなかったり何ページも進めてはボツにしたりする日々が続き、
もうあきらめて全然違うことしたり参考にとDVDを見たりする。
それでやっと1日調子よく書ける日がやってくる。
プロの物書きになんか到底なれないね。
ちなみに今回見たDVDはもちろん「ブレードランナー」「アンドリューNDR114」「A.I.」など
それに「蠅男の恐怖」「ザ・フライ」も。あと「2つの頭脳をもつ男」

誰でもそうだろうけどせっぱつまると効率があがる。
というかそれまで効率があがらない。
今回は自分で設定した締め切りをことごとくオーバーし、
最後には稽古にくいこんだ。
稽古を何日も休みにしてもらって本書きにあてた。

あれはまずかった。反省。
でも「せっかくだから役者たちや稽古場の空気を見て、それを台本に生かすといいよ」と言ってくれた
大王の言葉どおり、じっくり当て書きすることができた。
最高のアドバイスだった。
さすがだ。
これからは本書きのために稽古場で待たされても文句を言うまい。(言うけどね、きっと)



2002.05.31
もう5月って終わり??



ソフトマシーンが終わってもう半月以上たつが、やっと日常に戻ってきた。
ずっとほったらかしていた家族のために時間を使えるようになった。
ディズニーランドに行ったりもした。
あさっては河原でバーベキューだ。
山にも行く。
何より見たいDVDが見れるようになった。



2002.05.08
明日初日!!


きのうの仕込みの間は「サヌカイト・ワン」(秘密基地みたいでかっこいいだろう。
天才脚本家もそこで稽古だった)で稽古をしていたが、
きょうはとうとう劇場でリハーサルだった。
すんごくワンダフルな舞台セットが組み上がっていたぞ!
まさに恋愛科学コメディにふさわしい舞台だ。
私の演じる秋葉純一郎という科学者の部屋なのだが、
幕が開いてそこにあるのは一対の「物質転送機」なのだ。
デザインしてくれたのは岡一代!
あの「お祝い」の美術デザイナーだ!
ゴツゴツなりがちな「学者の家」と「転送機」をモダーンでハートフルに仕上げてくれたよ。

そして!
岡ちゃんが何気なく持ってきた小さなパラボラアンテナ!
これがきょう私のアイデアで一気にこの芝居いちばんの強烈なアイテムに生まれ変わった。
登場シーンは秘密だが、ヘタすると「観劇後こころに残る場面」を
全部あれに持って行かれやしまいかと気が気でない。
「面白すぎ」というインフレな言葉は普段使わない私だがあれは面白すぎ!
ああ楽しみだ。
あまりの面白さに舞監のZENさんもトラックから落ちて左腕全治3週間のケガだ!



2002.05.06
明日仕込み!


・・・とはいっても我々出演者は別室で稽古させてもらうことにした。
なにしろはらたかこは昨日まで別の舞台に出ていたのだ。
(すごいよほんとに。それでも出てもらうことにした私もすごいが)

というわけできょうはひさしぶりにたかちゃんが稽古に参加した。
彼女はほんとにラブリー。
何がってね、女性として、役者としてももちろんそうなんだけど、
一緒にいてすごく楽しい気分にさせてくれる。
本人はすごくきっちりと自分の仕事をこなしているのに、そのことで周りに余分なプレッシャーをかけないどころか
いつも周りを暖かく見守ってる。
これはできないよ、普通。
私にはどっちか片方さえできない。

私と彼女の出会いはなんと、去年の「エンゼルス」のときの「パシリ募集」に彼女が応募してきてくれたこと。
そのとき一般から二人来てもらってたんだが、
制作のMさん(立身出世劇場の制作をしてる)が
「もみーさんがパシリやりたいって言うてるんですけどどうします?」
ってきくんだ。
どうするもなにも立身の10年来の看板女優、もと冬乃もみじ/現・原尚子が
川下大洋劇の旗揚げ公演のパシリをやってくれるっていうんだからして、
そりゃ二つ返事でお願いしたよ。
こんなチャンスは人生一度きりだから。
そしてほんとに稽古場でパシってもらった。
ジュース買ってきてもらったりね。

本番近くなって小道具のスタッフがまだ未定だと気づき、
「たかちゃん悪いけど小道具パシってくんない?」
と、あつかましくも(いや全然そう思ってなかったが)彼女に小道具制作を頼んだ。
彼女はもともと劇団で小道具スタッフもやってたんだ。
(チラシデザインは今でも劇団のを毎回作ってる才女だよ)

そんなわけでエンゼルスでは彼女のニコニコした「はい」って返事がききたくて色々お願いした。
そして今回だ。
今回も彼女の「はい」が聞きたくて「たかちゃん、悪いけどヒロイン役、パシってくんない?」
とお願いした。
たかちゃんは「本番の1週間前に別の本番があるんだけど、かけもちでいいんなら、はい。」
と返事をくれた。
私は彼女の嬉しそうな「はい」が聞けたので、嬉しくてそのままお願いした。

いやー。それにしても1週間で本番ふたつかけもちってのはすごいよ。
ものすごいプレッシャーだと思う。
それをぜーんぜん感じさせない彼女はほんとにすごい。
だってね、他に本番かかえてるなんてこれっぽっちも思えなかったのだよ彼女を見てたら。
セリフも誰よりもよく覚えてるしね。
そんな彼女が今日からはソフトマシーン一本にかけるんだから威力は倍増だね。
楽しみだ。

というわけで、そんな怪物的にラブリーなたかちゃんを諸君、観に来て。


2002.05.04
もうすぐ本番!


台本が書き上がった時点では、話はとても面白いんだが舞台に乗せたらどうなるのか
自分では今ひとつよくわからなかった。
しかしそうじの丁寧な演出と出演者たちのおかげで、すごく面白い芝居だということがわかった。

たかちゃんがチャーミングでたかりんがひどく面白い、というところまでは計算が立っていたし
マモル・なす君が「ああやってくれればああいう風に面白い」というのもわかっていたんだが
そのスクエアの二人があれほど稽古に熱心だということに驚いた。
いや驚いちゃ失礼なんだろうが、ほんとに熱心だ。
それも全然ちがう方向に。
なす君は演技プランを細かいところまでつくり、それをどんどん実行していく。
マモルはまず人物をつくる。その人物ができあがると後は勝手にその人物が動いて喋る感じ。
だからなす君は少しずつ完成型が見えてくるけどマモルはなかなか見えない。
人物をひとつ作るのには時間がかかるのだ。
最後にポンといちどに出てくる感じ。

どっちもきっと彼らにとって最前の方法なんだろう。
とても面白い。
一見マモルの方が不器用にも思えるが、「最後にポン」は怖い。
そろそろこの2〜3日で「ポン」と来そうだ。
楽しみだ。
見に来る皆さんも楽しみにね。



2002.04.28
たかりん参入!


とうとうあの男が来た!
転球劇場の公演を終え、高木 稟が稽古場にやって来た。
やっぱ面白いわ。たかりんは。
本番でやらないようなこともいっぱいやってくれる。
稽古を見せたいくらいだよ、お客さんに。



2002.04.28
ソフトマシーン稽古中



あらー。何てこった。1ヶ月も更新してなかったのね。
道理でずいぶん久しぶりだ。
この1ヶ月に、あったこと。
まず引っ越し。大阪の都心に住んでいたのだが、今では西宮だ。
そしてソフトマシーンの稽古が始まった。
その時点で台本がまだ書き上がっていず、何日か稽古を休ませてもらって書いた。
私が出ずっぱりなので私が休むと必然的に稽古がなくなってしまう。
迷惑をかけた。(みんなは喜んでいた??)
そして稽古の合間、稽古場にあった卓球台で卓球をやっているうちに
ラケットを持った手が壁に激突し、右手中指を痛めた。
いまだに痛い。関節をやってしまっている気がする。
しかし稽古に行くぎりぎりまで寝ていたいので病院に行ってない。
行った方がいいのは重々わかってるんだが。
そして家族にうつされた風邪。
ひきかけでなんとか終わらせようと薬を飲んだが、なかなか治らない。
ひどくもならないのだが。
薬のせいでここ10日ほどずーっと頭がぼーっとしていた。
思い切って今日から薬を減らしてみた。
ちょっと頭が冴えた。
そこでこのページを書いているわけだ。

家から稽古場へはもっぱら単車で通っている。
私の愛車はHONDA SL230という、「街乗りオフロード」。
毎日往復50キロ近く走る。
最近は暑かったり寒かったりで大変だ。
雨も降るし。
しかしなぜか今回のキャストのうち、
原 尚子・高木 稟・奈須 崇が単車に乗っている。
ソフトマシーンは二輪マシーン集団だ。

きのうダブリン観たあとに劇場の隣のLOFTにある無印良品で買ったバッグに
稽古着など入れて稽古に行ったのだが、
このバッグを首から斜めに下げて単車に乗る。
するとちょーーどバッグの角がクラクションのボタンに当たるのだ。
横断歩道を行くこわいお兄さんの目の前で「ビー」と鳴らしてしまったり大変だ。

なんだかつれづれなるがままの文章だな。
しかし私の日常がつれづれなのだから仕方あるまい。

さて。稽古場で魚人スプラッタが撮った写真が送られてきたので掲載しよう。
見てみてみてくれ。

ここクリック


2002.03.23
クラシックロック?

変な言葉だなクラシックロック。
でも私の好きな音楽は今やそういう名前でジャンル分けされてる。
ツェッペリンなんか20年くらい前からすでにクラシック扱いされてた。
音楽が次々に新しいジャンルを開拓していた頃なら、
流行りはすぐにすたれて古くなり、クラシック扱いされても仕方ないだろうが
ジャンルが開拓され尽くした今となっては
音楽を古い新しいで区別しても仕方ないと思う。
まあ音や録音そのものが古くさいというのは仕方のないことだろうが。

私が中学から高校にかけて聞いていた音楽は
レッドツェッペリン、ディープパープル、フリー、
エマーソン・レイク&パーマー、イエス、ピンクフロイド、ムーディーブルース、
バッドフィンガー、ジェスロタル、ウィッシュボーンアッシュ、
ユーライアヒープ、ブラックサバス、ザ・フー、ローリングストーンズ、
ニールヤング、サイモン&ガーファンクル、南沙織、

タイミングを逃してあと聴きになってしまったのが
クィーン、エアロスミス、ロキシーミュージック、

当時すでにあと聴きだったのがビートルズ。

・・・んー、こうやって眺めるともうノンジャンルだな。
当時の洋楽全般て感じ。
じゃあやっぱりひと言でいうならクラシックロックか。


2002.03.21
無人タクシーに乗ってみたい

交通事故で不幸が増えたのなら乗り物はもうすたれている。
1万人の犠牲者の不幸などくらべものにならないくらい、
1億2千万人が便利になった幸せは大きい。
これからもっともっと科学は発達し、人間は幸せになる。

・・・ということをこのページで書いたが、つい先日、とうとう無人タクシーがイギリスで使われ始めたという記事を読んだ。
まだ実験段階ではあるらしいが、たぶんカーナビの技術の応用なんだろう、行きたい場所へ行ってくれる。
そして値段はバス並らしい。
人件費がいらないからか?
とにかくそんなに安いのならいずれ普及は間違いない。

そしてきっと事故はめったに起こさないんだろう。
例えば人間が運転する電車はよく大事故を起こすが、自動運転の新幹線はまだ無事故だ。
もちろんあれはレールの上だけを走るんだが。

そうそう。
関西空港にあるが、無人運転のシャトル。
新幹線はいちおう形式だけでも運転席に人が座っているんだが、
ああいうシャトルは完全に無人だ。
これって大丈夫か?
と思うんだが、よく考えたらもっと恐ろしい物に普段我々は乗ってる。
しかも水平じゃなくて垂直に動く無人の乗り物。
そう、エレベーターだ。

あれはボタンひとつで行きたい場所へ全自動で連れて行ってくれる。
しくみは全く同じだ。
恐ろしい無人の乗り物には小さい頃からみんな乗っていたわけだ。
じゃあ今さら無人タクシーが出来たところで驚くことはない。
早く乗ってみたいもんだ。


2002.03.1
私の目からウロコ

私は舞台以外にTVなどのナレーションの仕事をしている。しかしここ数年悩みがあった。風邪などをひくとまず最初に鼻声になり、治ったあともしばらくそれが続く。どうやら慢性的な副鼻腔炎(ふくびくうえん)になってしまっているらしい。そのせいで鼻水のようなものが喉の方に降りてきて、喉までやられてしまう。これは困った。喋る仕事をしているのに声が調子悪くては話にならない。それでもなんとかごまかしごまかしやってきた。

評判だとかいう耳鼻科にも通い、ずっと薬漬けの日々を過ごしてきた。炎症を抑えるための薬を飲み続けて来たのだ。体はとても元気でピンピンしていても声だけが今ひとつすっきり出ない気持ち悪さがわかるだろうか。ものすごく気持ち悪い。2月にインフルエンザらしき熱に冒された後それが快復してからも、ずっと声が出にくく、悶々としていた。

それが! なんと!

先日その耳鼻科に行ったときのことだ。

私「先生、ほんとに治りが悪いです。薬もできればあまり飲みたくないんですがねー」
医師「んー。そうですね。」
私「私胃が弱いんで、薬飲むとこたえますし。」
医師「胃の薬もお出ししてるんですがねー。」
私「ええ」
医師「あ。・・・」
私「・・・なんですか?」
医師「川下さん、胃がお悪いですね?」
私「ですからはい。」
医師「ちょっとベロ見せてください。」
私「べー」
医師「ははーん」
私「何ですか?」
医師「川下さん、胃のせいです」
私「え?」
医師「あなたの声ね、胃からわずかに逆流する胃液のせいで喉や鼻がやられてるんです」
私「は??」
医師「たぶん」
私「そ、そんなことがあるんですか?」
医師「ありますよ」
私「じゃあ今までの治療はいったい・・・」
医師「まあ様子を見ないとわかりませんがね。とりあえず声の薬をやめて、胃薬だけお出ししましょう。君、ドグマチール50」
看護婦「はい」
私「え? え?」
医師「じゃあお大事に」
私「あの、じゃあ今までの薬のせいで胃をやられ、そのせいで声が出てなかったと??」
医師「次の方ー」
私「・・・」

目からウロコだった。胃のせいで声が出ないなんて。それ以来私の症状は劇的に快復した。まあ季節がらちょうど体調がよくなっただけかもしれないが。(スギ花粉症でないことだけははっきりしている)
その医師は説明が上手なので私は好きだ。私は説明能力の高い人を愛する。これからもその病院には通うつもりだ。


2002.02.15
幸せ?

世の中は便利になったのに昔の方が幸せだった。科学が人間を不幸にしている?
そうじゃない。
科学は人間を幸せにしてきた。
幸せばかりを追求しすぎだよ、と言われてもいいくらいに人間は幸せを追い求めてきた。
科学の力でそれを実現し、幸せを達成してきた。

じゃあ何故私はこんなに幸せじゃないの?
と思う人がいる。
あちこちにいる。
あらあなた、昔に比べたら幸せよ。私の若い頃はね、
と幸せそうに説教する年寄りの言うことなど誰も聞きはしない。
不幸な人があふれている。

なぜ?
科学が発達したせい?
いや。
科学が未熟なせいだ。
科学が人間の願望通りに発達すれば、人間は幸せになる。

例えば?
速く移動したい。だから自動車や列車や飛行機をつくった。
速く遠くへ移動できるようになった。
会いたい人に会いに行けるようになった。
憧れていた場所へ行けるようになった。
幸せになった。
交通事故で不幸が増えた?
ほんとにそうなら乗り物はもうすたれている。
1万人の犠牲者の不幸などくらべものにならないくらい、
1億2千万人が便利になった幸せは大きい。
乗り物で人間は幸せになった。

これからもっともっと科学は発達し、人間は幸せになる。
未来は希望に満ちている。

物質転送で誰でも瞬時にどこへでも。って、できるようになると思う?



2002.02.10
写真を撮った

きょうは「ソフトマシーン」のチラシ・マスコミ用の写真撮影。
出演者全員がスタジオハントに集まる。
今回の芝居の隠れテーマとして「幸せ」というのがあるのだが、
(全然隠してないんだが)
みんなに「幸せそうな顔」で写真撮られてもらった。
スクエアの奈須君・マモル。たかちゃんりん。(原 尚子とたかりんを合わせてこう呼ぶ)
みんな色んなポーズで幸せな顔を見せてくれた。
しかしたかりんは面白すぎた。
ポーズと表情を次々に変えるだけなんだが、パフォーマンスとして成立してた。
すごく笑ったんだが、写真としていいんだか悪いんだかわからない。
たぶんOKだとは思うんだが。
カメラマン鎌田さんだし。
役者の「いい顔」を撮らせたら鎌田さんの右に出るものはいない。
(遊気舎「俺バカ」のポストカードとか)
それにチラシを、大もとのコンセプトから一緒に考えてつくりあげてくれる。
去年の「エンゼルス」のチラシの写真はすごくいいものができた。
あれは「白く明るくたたずむ人たちと黒く暗くたたずむ人たち」だった。
今回は一転して「カラフルで、幸せそうに、巻き込まれていく人たち」。
できあがりが楽しみだ。
デザインしてくれるのは気鋭のグラフィックデザイナー、孫 誠。
まだモノクロでしかやってもらってないが、週刊Piperのお知らせとソフトマシーンの仮チラシ。
天才脚本家や王立寄席で配っていたので覚えている人もいるだろう。
ドナインシタイン博士や大田王、エンゼルスと、
自分がメインで企画する公演はこれまで自分でチラシをつくっていたんだが、
人に頼むと気が楽だ。
あ、その分台本にかまけないといけないか。よーし。
よーし、ってね、台本にかまけようとすると何故か他のことにかまけたくなるね。
後藤が怪人つくったりする気持ちわかるよ。
まー私の場合はそれがホームページづくりとか、Mac内のデータ整理とかだったりするね。
楽器の練習とかも無性にしたくなるね。
よーし。ずっと更新してなかった「記録」のページをいい加減ちゃんとしよう。




2002.02.08
ゴーゴーハリケーン!!!

諸君、私だ。川下大洋だ。ここへ来てくれてありがとう。
これまでは DOC の名の下にあまり素顔を見せずに来たが、
これからも基本的にはそうする。
しかし個人的なことなどもたまにはチラチラと情報開示しながら
やっていくことにする。

というわけでやっと「ドナインシタイン博士の館」にあった
「川下大洋の部屋」のドアが開いた、と思ってくれたまえ。
しかしあの館は、あまりに時がたち老朽化が否めない。
いちど改築はしたがちっとも中味が伴っておらず
このまま放置したのでは危険このうえない。
やむなくとりこわす事にした。

いつの日かまた新築するなり記念館を建てるなりしよう。
その日をお楽しみに。


さてゴーゴーハリケーンだ。
川下大洋劇はゴーゴーハリケーンと改めた。
つまり昨年の「エンゼルス」は「川下大洋劇#1」だったが、
今回の「ソフトマシーン」が「ゴーゴーハリケーン#2 」となる。
ややこしくなーい!!






ソフトマシーン

機械はふつう硬い。金属やプラスチックで出来ている。
ぐにゃぐにゃした機械など、力も出せなければ精密に動くこともできない。
だから硬い。しかしそのせいで割れてしまったりする。
割れなくてもいつかは故障する。そうなれば他からメンテナンスを受けない限り壊れたままだ。

ところが。どんな機械よりも優れた動き・知能を併せ持つ究極の機械がある。
エネルギーを自分自身で補給し、外部からのメンテナンスがなくても何十年も駆動する。
傷ができたり多少なら部品が割れたりしても自分自身で修復できる。

金属部品はゼロ。プラスチックもゼロ。
ほとんどがタンパク質を主とする有機物と、水で出来ている。
それはどんな機械よりも柔らかい。
そして。他の機械を愛したり、する。

人間と、呼ばれている。