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MID-ST | ||||
2000/9/0 (0) 00:00:00 たいよう 78-88
私が劇団に入って初めての公演がミドストでした。たぶん一ヶ月ほどアドレナリンが出っぱなしだったと思う。自分の役はテレビのカメラマンというチョイ役。それでもものすごい入れ込みようで、公演が終わる頃には芝居の最初から最後まで全員のセリフを言えたくらいでした。べつに覚えようとしたわけでなく、集中して稽古に参加してたんだね。その後もその集中力が続けばよかったんだけど。 チラシもいきなりまかされたというか他にやりたがる人がいないのをいいことに好き勝手やってました。このころはどの劇団もチラシよりポスターに力を入れていて、創立メンバーの先輩にシルクスクリーンの達人がいたこともあり、すべてシルクの手製があたりまえでした。つまり版になる紙をカッターで切り抜くんだけど、この公演は写真製版を手作業でやりました。そういう作業もすべて稽古場である京大中央館でやってました。いわゆる「ブラ看」はすべてポスターで、各大学に夜中に貼りに行っていたのはご存じの通り。100枚くらいかな、つくっていたのは。 さて芝居の方だけど、当初は「熱海殺人事件」をやろうと言っていたのが色々あって安部公房のこの戯曲をほぼそのまま上演。熱海はなんで後回しにしたんだっけ?>松井 人間を草食動物に改造する実験的な手術を自ら志願して受ける、哀れなお父さんを木下が好演。そのオペを執刀するマッドサイエンティスティックな医者が甲斐田。父親を追いつめる嫌な息子に松井。他に、このあと退団してしまう渡辺さんが母親を好演していました。 美術で力を入れたのは、ラストに浮かび上がる草原の絵。最初からずっとそこにあるのに観客には見えないようにするため、白い紗幕を絵のパネルの手前に張りました。紗幕にだけ灯りが当たっている間は後ろの絵は見えず、パネルに灯りが当たり初めて絵が浮かび上がる! というはずだったけどなかなかうまくいかず大変でした。仕込みの時間をかなり使ったんじゃなかったかな。とにかくラストで消えてしまったお父さんを探したらその絵の中にいるのを息子が発見、「お父さん!」と呼びかけるが、そのお父さんを医者がスリッパでバンッ!と叩きつぶし、「ハエですよハエ」で幕。だったと思う。 ところでこのときの舞監「サタン大王」って、誰だっけ? 本田だった?これも。 この公演に関するコメントを募集中です。 |
2000/09/00 (0) 00:00:00 たいよう 78-88
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