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11月祭特別参加番組 第7回公演
熱海殺人事件
CAST STAFF
作/つかこうへい
演出/三浦友一
木村伝兵衛/つみつくろう
熊田留吉/松矢一平
片桐ハナ子/橋野リコ
大山金太郎/鬼怒信之介


    
舞台監督/バッファロー木下
舞台美術/バッファロー木下
照明/マラソン高橋
音効/ハリケーンばんび
宣伝美術/ハリケーンばんび
衣裳/
小道具/
メイク/
受付/
ソデつき/
■/
1978.11/23(祝)〜25(日) 3ステ
京大教養部E21教室
前売¥400 当日¥500  観客=650人



  このデータをなるべく詳しくしたいと思っています。みなさんの協力をお願いします。

78熱海のころ
  2000/9/26 (火) 15:17  あげそん
 そとばこまちの夏以来の公演だというので、楽しみにしてました。大洋君とは語学 のクラスが一緒だったので、みんな互助精神に長けていたこともあって、チケットを 買ったと思います。このクラスはいまだに仲がよくてつい2-3年前にも同窓会をした くらいです。11月祭は、今もそうかもしれませんがにぎやかでした。クラスでもいろ んな事をしました。仮装行列も行ったし、模擬店もしたし。このころ劇団員の数はよ うやく2桁になるかどうかのころ。11月祭の舞台をE−22で作るのにも人が少なく て大変だったようです。クラスのい何人かに大洋君から舞台を作る手伝い(あとで『 仕込み』という専門用語を知るのですが)にきてくれないかなあ…という話が舞い込 んできました。大学の1年生ですから勉強なんかしてません。面白そうだ、というこ とで何人かと行きました。

 あの講義室にどうやって舞台を作るんだろう?興味しんしんでしたが、鉄パイプを 組んで、厚ベニを張って、暗幕で仕切ると、それっぽいものができていったのにはた いそう感動しました。手伝うことも初めてすることが多くて面白かったですね。この あと、仕込みなんてしんどいから絶対やだ、と思うようになるのですが、このときは 妙に楽しかったです。これが間違いの第一歩だったみたい。照明機材も見たのも、こ のときがはじめて。『ぼろいなあ』が最初の印象です。何しろ、コードは適当に破れ ているし、今にもショートしそう。機材は所々いがんでいるし、フォーカスどころか ほんとにちゃんと点くんかなア、と思ったほどです。これを舞台の直前に張り出した 鉄パイプに『針金』で縛り付けてました。いくつか吊るのを手伝ったと思います。針 金だから、こっちに向いてほしいと思ってもなかなか向かなかったような気もします が、そのときは『助っ人』で『お客さん』の立場ですから、適当に手伝って夜更けに なる前に帰りました(このときは帰れたんだよねえ)。

 本番は何回見に行ったっけ?2回くらいかなあ。もうちゃんと覚えてません。少し 手伝いをしたもんだから、その分余計に楽しかったの覚えています。お客も多かった しね。何人入ったか知りませんが、ずいぶんと込んでました。それでも花道を使うん だからびっくりしましたけれど。あっという間の2時間少々。本番中は11月祭名物の 『E号館の猛暑』だったのですが、面白かったのと芝居に引き込まれていたのではぜ んぜん苦にならなかったですね。でも終わって外に出ると初冬の風は寒かったあ。

 それまで芝居を見たことはほとんどなかったので、『ライブ』で人間が演じるとこ ろには素直に感動してしまいました。面白かったし、ずいぶんと笑えたし、なにより 、今と違って、授業にでれば必ず『ナントカ派』や『カントカ派』から何種類かの『 アジビラ』をもらってたころ、この芝居の中には顔をしかめる『イデオロギー』的な ものが全然なかったのが気持ちよかったのかも。夏の公演の感想とあわせて、面白そ うだなあ、やってみようかなあ、思い始めて、後はなすがまま。道を踏み外した第一 歩の出来事でした。あとになってみれば何が幸いするかわかりませんけどね。
あたみ
  2000/9/00 (0) 0:0:0  たいよう 78-88
第二期として再スタートをきって以来、辰巳や松井たちにとっては入団以来の念願だった「熱海」。私は伝兵衛役に立候補したけどもちろんダメで、音効に回りました。以来本公演で3回、高校の演劇鑑賞会でも上演することになる、まさにこの劇団の原点と言っていい公演です。

 といってもつかが原点なのは当時どこの劇団も似たようなものでした。新感線のいのうえも第三劇場のマキノも、みんなつかをやりたくて芝居をやってたし。しかしこのときはまだ、少なくとも私は、他の劇団の熱海との違いは意識していませんでした。だって見たことなかったから。つか事務所のも未見だった。つまり完全に戯曲として、また辰巳・松井たちの演技を通じてしか知らなかったのでした。

 辰巳の演出は、つか芝居の鉄則(音楽の使い方など)を踏み外すことなく、役者の個性を最大限に生かしていたと思います。彼自身は後の風間杜夫ではなく三浦洋一の伝兵衛に心酔していて、演出ネームも「三浦友一」。演技も三浦の影響が大きいらしいけど私にはよくわからなかった。あれは辰巳自身の個性だと受け止めています。しかし先日三浦氏が亡くなったときは、もしこの人がいなければすごく間接的な意味で今の自分もいなかったかもしれない、と思いました。

 そして松井の熊田。アロハシャツに腹巻きをして大阪弁でがなりまくる。音楽がフルボリュームで流れる中、音に負けずにセリフを客に聞かせられるのは彼だけでしょう。音効機材は劇団員のステレオを持ち寄ったものだったけど。

 本田の大山。これがこの時の熱海のキーだと思っています。一般的な尺度で演技がうまいとかどうとかではなく、彼の言い様のない良さがこの芝居の核になっていました。「よい役者=ずっと見ていたい役者」だと思うから。

 そしてこの3人の、ひとつの個性で最初から最後までずーっと押し通す男達の中にあって、器用にキャラクターを使い分けながら橋田のハナ子が芝居をまとめていました。彼女でなければつとまらなかったまさに大役だと思ってます。お世辞じゃないぞ。

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  2000/8/20 (日) 18:09:34  たいよう 78-88
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