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第13回公演
中華風倭人伝
CAST STAFF
作/安田光堂
演出/島田久司
会社員/立花香織
首相/安田光堂
共産党員/くぼとおる
キャスター/石野ねこ
学者の妻/さえぐさ桂
国語学者/作田俊之
キャスター/ばついくお
学者の助手/橋本 孝
医者/佐藤 虔
会社員の妻/上海きょん
シンドロームショー/辰巳
         /甲斐田
         /木下
         /川下
         /
         /
舞台監督/サイクロン唐内
照明/ストロボ上村
   スクランブル落合
装置/キッシャン岸本
効果/ゼンダマン久保
   はりけーんとんび
音楽/シンセ佐藤
宣伝美術/BAMBI AD CO.
ソデつき/杉 みゆき
振付/
衣裳/
小道具/
受付/
■/
1980.10/16(木)〜18(土) 4ステ
同志社大学新町別館小ホール
前売・当日¥500  観客=700人



#13「中華風倭人伝」
  2000/10/9 (月) 3:40  武田浩治
…音効として参加した私は、作家の蒔田氏と田嶋氏から、「森田童子の
 “ラストワルツ”のような曲を」と言われて、大変悩みました。
 今思えば、「〜のような曲を」というリクエストは、オリジナルを超えること
 はないから、そのものズバリを使うべきだと悟った次第です。
 劇中で松田聖子の「青い珊瑚礁」、ニルソンの「Without You」あたり を
 使ったような…。

入団して初めての公演だったわ。
  2000/9/00 (00) 00:00:00  杉みゆき 80-83
初仕事は、ソデだった。
私ったら、サークル活動のノリで、
お遊び気分のまま本番にのぞんでしまい、
暗転中に机出すのを忘れるという
大失敗をしでかして・・・
とうない舞監に、大魔神のごとく怒られた。
その後しばらくは、「ひらがな」とかで
とうないさんと同じテーブルになったりすると、
すごく緊張したものだったわ。
と、言いつつ、
しっかり残さず食べてたけどね、今思うと。
この公演は
  2000/9/00 (00) 00:00:00  Shin Sato
僕が劇団に入った年の秋に蒔田さん田嶋さんを中心としたニ回生とわれわれ一回生を中心に行った新人公演である。
この年(1980年)は大洋さんのいう「第2期そとばこまち」3年めにあたり、当時の三四回生がいわゆる古株であり中心で、我々一二回生が若手、という印象があった。そしてこの公演は本公演としては初のオリジナル作品でもあった。
6月公演「十二夜」を終えてすぐに新人公演の台本選定に入った。
今は吉田新食堂(正式にはなんというのだろう)になってしまっている京大教養部グラウンドの南側にあったボックスや松ヶ崎の新山荘(大洋さんの下宿)などで、いろんな台本を持ちよっては読み合わせをした。
辻邦生、別役実、バーナード・ショー、サルトルや岡部耕大、斎藤憐あと何読んだかなあ。
自分もなんか出さなきゃと思い駸々堂の演劇書のコーナーへ行って片端から本をめくってみたりしたのを覚えている。
度重なる読み合わせと激しい討論の末、激田一揆改め安田光堂作「中華風倭人伝」に決定し、早速キャスティングのための読み合わせに入った。
余談だが、日本中に中華風の言葉しかしゃべれなくなる病気が流行するというこの設定は、先輩方が麻雀をしながら「○○あるよ」などという中華風の言い回しがやめられなくなってしまった所に端を発しているそうである。
夏休みに入る前に、キャストとスタッフ決定。
僕は同性愛の復権を目指す狂気の天才医師の役と、選曲とを担当することが決まった。田嶋さんから選曲のイロハの様な手紙をいただいて、ふんふんと読み、役柄は「博士の異常な愛情」のピーター・セラーズ扮するDr.Strangeloveを参考にしろとの仰せに従おうと、貸ビデオ屋などない当時のこと、わざわざ大阪まで映画を観に行ったり、そして、恒例のアップル寄席で1ー3場の発表をしたりしている間に、あっという間に夏休みもおわった。
この公演に関するコメントを募集中です。
  2000/9/00 (00) 00:00:00  たいよう 78-88
どんなにささいなことでも重大なことでも、
短い文でも長文でも、
オフィシャルな発言でもくだらない雑談でも、
まったく構いません。
今でこそ言える愚痴なども、どうぞ。

この年のノートに書き込むか、 または川下まで、メールで送ってもらえないでしょうか。